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2010年01月29日

中野友加里(1)

いよいよバンクーバーオリンピックが近づいてきました。何の種目でも、オリンピックに出場するというのは類い希な才能と努力の証です。普通の世界大会とオリンピックの最大の違いはやはり4年に一度という事だと思います。だからオリンピックに出場できるかどうかというのは、運とか巡り合わせも大いに関係してきます。実力があっても選手としてのピークがオリンピックの年とずれてしまうと出場できなかったりします。もちろん長年にわたって日本のトップレベルを維持し続け、複数回のオリンピックに出場する超一流の選手もいますが、運悪く競技者としてピークの時期とオリンピックのタイミングが合わず、オリンピックに出場がかなわなかった選手というのもたくさんいます。バンクーバー五輪代表を逃したフィギュアスケートの中野友加里もその典型的な一人だと思います。

中野友加里/1985年8月25日(24歳)

愛知県に生まれ、あの伊藤みどりを育てた山田満智子コーチのいるグランプリ東海で6歳からスケートを始めます。順調に成長し、2000年には全日本ジュニアで優勝、2002年の世界ジュニアでも銀メダルとジュニア時代から活躍してきました。ただ、その後シニアに転向してからは若干伸び悩んだ感じです。荒川、村主という年上の選手と安藤、浅田という年下の選手の間に挟まれて、なかなか存在感を示す機会がなかったという意味では世代的に不運な面もありました。特にトリノ五輪の前のシーズン(2004-2005)はGP中国大会、GPカナダ大会共に11位。四大陸選手権も11位と好成績はあげられませんでした。この四大陸選手権というのは、ヨーロッパ以外の地域の選手で争う国際大会ですが、当時この大会は「世界選手権に出場できない選手の大会」という位置付けだったので、四大陸選手権で11位というのは国際的なトップレベルにはかなり及ばない位置だと言えます。この時点で当時高校生だった安藤美姫が2年連続全日本優勝していて、トリノのエースとして期待されていました。全日本6位の中野にとっては翌シーズンのトリノオリンピックというのはあまり現実感のない目標だったと思います。

そして翌オリンピックシーズン。中野友加里は一気に開眼します。GPシリーズ初戦のスケートカナダで3位に入ると、その勢いでNHK杯では優勝してしまいます。このときのNHK杯には安藤も出場していましたが、安藤は4位。そして続くGPファイナルでも中野は3位と表彰台に登りました。このGPファイナルでも安藤は4位。中野は安藤に2大会で連勝して一躍トリノの有力候補に急浮上し、マスコミからはシンデレラガールと言われるようになりました。逆に安藤不調説も浮上。トリノ五輪代表争いは2005年年末の全日本選手権に全てがかかってきました。

ここで、トリノ五輪フィギュアスケートの代表選考方法について思い出してみます。前シーズンの国際大会での成績などを点数化し、当該シーズンの成績と合算して選ぶというポイント制でした。五輪シーズン開幕時の持ち点を見てみます。

(2005-2006シーズン開幕時ポイント)
村主章枝 :700点
安藤美姫 :655点
恩田美栄 :564点
荒川静香 :560点
中野友加里:343点

正直、シーズン始まった時点では中野はほとんど代表争いの圏外だったのです。この点数にこの年の成績が加算され、最終選考の全日本直前でのポイントでは中野が急浮上して来ました。

(2005全日本直前ポイント)
安藤美姫 :1865点
中野友加里:1643点
恩田美栄 :1564点
荒川静香 :1560点
村主章枝 :1550点

荒川も村主もGPファイナルに出場できていなかったため、かなり代表争いが混沌としてきました。そしてついに中野は代表争い2番手にまできました。ちなみに、年齢制限でトリノ五輪に出場できない浅田真央はポイント換算すれば1位なのですが省略してます。

そして運命の全日本の結果。
1位 村主章枝
2位 浅田真央
3位 荒川静香
4位 恩田美栄
5位 中野友加里
6位 安藤美姫

全日本のポイントを加味した最終ポイントは
安藤美姫 :2215点
村主章枝 :2150点
荒川静香 :2060点
中野友加里:2043点
恩田美栄 :2014点

この結果、トリノの代表はポイント上位3人の安藤、村主、荒川の3人となり、中野はわずかに代表に手が届きませんでした。ただ、この代表選考にはかなりの批判もありました。前年シーズンを除いて、五輪シーズンだけのポイントを並べてみます。

中野友加里:1700点
安藤美姫 :1560点
荒川静香 :1500点
村主章枝 :1450点
恩田美栄 :1450点

当該シーズンでポイントトップの選手を代表から外すというのはおかしい、中野を選ぶべきだ、という声がたくさんありました。そして全日本でも6位と中野より低い成績の安藤はその不調ぶりから考えても選ぶべきではない、という安藤バッシングもあったと記憶してます。
結果として直近大会の直接対決で中野が安藤に3連勝したからでしょうか、結構多くの人が誤解していることがあります。それはこのトリノ五輪代表3人の最後の椅子を中野と安藤で争っていたのではないということです。中野の成績に関わらず、トータルポイントでも、当該年度のポイントでも安藤は代表候補の上位3人に入っています。結果的にトリノ五輪本番で安藤の成績が悪かったために「やはり安藤ではなく中野を選ぶべきだった」という結果論が語られたりしましたが、代表選考の時点では安藤を代表に選ぶことに何の問題もない成績だったのです。

話を中野に戻します。中野は五輪シーズンのポイントではトップ。日本のトップスケーターの仲間入りしたことは事実です。ただ、残念ながら前年の実績が足りなかったためにオリンピック出場を逃してしまいました。成績の急上昇のタイミングが一歩遅かったということで、本人にとっては本当に残念なことだったと思います。
ただ私はこの選考方法と結果は仕方ないと思ってます。選考方法については、シーズン前に公表されていたことなので、別に後付けしたわけではないですし、採点競技においては「実績」というのも結構重要です。結果として代表3人がぴったり「シンボルアスリート」の3人に収まったという点に恣意的なものを全く感じないといえば嘘になりますけど、それも邪推の域を出ない話ですので。

残念ながらトリノ五輪には惜しくも出場できなかった中野友加里ですが、トリノ五輪後に行われた世界選手権に出場して5位入賞。ようやく世界のトップスケーターの一人として開花しました。

(続く)

posted by たじ |11:18 | コメント(0) |

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