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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。

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緊急サポ集会報告

2008年10月19日

あつべつ2



 試合終了から、2時間後、およそ300人ほどが、厚別競技場の外で村野GMと社長のコメントを聞きました。

 対話を仕切ったウルトラスの人によると、初め社長は顔を出すことを拒否していたものの、村野GMは積極的に対話に臨みたいと言っていたそうです。しかし、HFC内部の意見調整が手間取って、こんな時間になりました。

 村野GMの発言で、印象に残っているのは、

・どんなことでも答えたい。
・昨年は楽しそうだった来場者が、今年はガックリしているのを見ると、
 申し訳ないと思う。
・降格の事実についてこの場で原因を究明しようとすれば、何日もかかる。
・監督、選手、フロント等々、それぞれに責任があり、
 特定の誰かだけに責任があるわけではない。
・社長はなったばかりで説明できるものを持っていない。
 最初からずっと見ていた自分が一番責任者として相応しい。
・横にいて良いだけならば社長を呼んできても良い(その後社長登場)
・J2降格はたいした問題ではない(後で訂正)
・コンサドーレ札幌は、みんなで作るクラブだ。
・金のない中で戦えるチームを作ろうと思えば、育成をしっかりやるしかない。
・5段階計画は粛々とやってきた。一度もぶれていない。
・現在は3.5段階程度。この降格で少し後退は止むえない。
・5段階計画にのとっり相応しい監督を選んだ。
・監督に責任があるとしたら、監督を選んだ私に最大の責任がある。
・責任を取って辞めろと言われれば、辞める。
・当初からこの戦力では、入れ替え戦に出場しての残留が現実的な目標と思っていた。
・それでもプロクラブである以上、J1優勝、AFC制覇は目標
・10年後、20年後のために、みんなでこのクラブを育てていってほしい。

やはり降格直後の会見だけに、怒号が飛び交う場面もありましたが、仕切ったウルトラスの方(と思われる)が、たくみに場面を取りなし、「このままでは収拾が付かない恐れがある。村野さんへの感謝しよう」と結んで、お開きに。
また後で登場した社長も、「申し訳ない」の言葉と、「自分も創設からのサポーターだった。サポーターの気持ちは理解できる」の言葉を残しました。

それ受けて、ウィアーサッポロを叫ぶサポーターはあったものの、
全体には広まらず、もやもやっとしたまま散会となりました。

同じ降格でも、ジョンカビラがコンサドーレと煽った98年の降格とは様変わりでした。

それでも私的には、今までもやもやっとしていたものが、くっきりとした、会見でした。それはどういうことかというのを、また改めて報告します。




持ち去られたゴール

2008年10月19日

goal_ura
決まってしまいました。 私自身、目の前で降格を体験するのは2回目の体験でした。  さて、写真は試合終了後の厚別ゴール裏ですが、 会場の撤去が終わっても、多くのサポが残りました。 その時の模様は、また後ほどにでも。 決まったので、いろいろと言いたいことがあります。



post by hibari

18:11

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