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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。

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04年大宮と07年札幌

2007年07月14日

 今季の札幌を語るのに、三浦監督を抜きして語れない。そこで、三浦サッカーが完成した2004年の大宮アルディージャを振り返ってみたいと思います。

 2004年、三浦さんは2年ぶりに大宮の監督に復帰。これ以前の三浦監督は、前の柳下監督のように、『三浦監督は「ポゼッションサッカー」に強いこだわりを持っていた。つねにイニシアティブを取りながら、攻撃的かつエキサイティングなフットボール」を模索し続けていたのである(http://www.jsgoal.jp/special/2004preview/omiya.html)』というのですね。ところが『2年間の解説者生活を経て、彼は「J2は形でなく結果が何よりも大事」という考え方に方向転換した』(同前)というのです。

 さて、2004年の大宮は、出だしこそ勝ち負けを繰り返して不安定でしたが、チーム戦術が浸透してきた中盤以降から勝ちが先行し、32節の札幌戦(!)から最終節まで破竹の12連勝を飾り、42節で昇格を決めました。この年はJ2歴代最強といわれる川崎の存在が圧倒的だったために目立ちませんが、後半だけを見ると、直接対決を含め大宮は川崎を上回っていました。

 さて04年大宮の後半からの躍進を実現したのは、15節からのトゥットの補強とよく言われます。トゥットは、ダニエルという外れ外人のかわりに、15節から加入し、24試合で8点を上げました。しかし、記録を見ると、23節に新潟から入った森田浩史の途中加入も大きかったようです。森田は後半だけで10得点上げています。これは試合数の多いトゥットよりも多い数字です。
 
 もう一つ注目されるのはGKです。負傷もあって、18節で正キーパーが安藤友安から荒谷弘樹に変わります。荒谷に変わってからは3敗しかなく、大宮J1昇格に大きく貢献しました。こうして見ると、三浦監督独特の4-4-2サッカーを支えるキーパーの役割の大きさがわかります。
 
 新監督の1年目は、特に前半は戦力の見極めに苦労するものですが、2007年の前半戦での札幌の躍進は、04年に大宮で完成した三浦戦術を実践するのにふさわしいコマが、あらかじめ札幌にそろっていたからなのでしょう。(むしろ、コマがそろっていたから監督を引き受けたのかも知れません)

 トゥット182cmとバレー190cmという大型FWを前に並べるかたちは、ダヴィ183cm、中山元気186cmという姿で引き継がれていますし、攻撃力がありゲームの流れを変えるため、あえて途中投入された森田の役割は、砂川が担っています。三浦サッカーを裏から支えるキーパーも、04年、05年と大宮に在籍し、三浦監督をよく知る高木が移籍したことで穴が埋められました。(高木の移籍も三浦監督が希望した、のかも知れませんね)
 
 ただ、04年大宮の躍進は補強の成功にあることは疑いなく、当時の大宮と比べると小ぶりである07年札幌が後半戦を乗り切るためには、やはり的確な補強が不可欠なように思います。