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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。

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宏太をあたたかく迎えようよ

2007年07月05日

 新聞によれば、大宮のFWの吉原宏太が、札幌の練習に顔を見せたそうです。
http://hokkaido.nikkansports.com/soccer/jleague/consadole/p-hc-tp0-20070705-222437.html

 後半に向けて、補強がささやかれる中で、突然の来札は波紋を呼びました。

 ネットでは、2部落ちした札幌を見捨てて出て行った人、というネガティブな声も聞かれますが、僕は宏太はやっぱり心の中で札幌のことを思ってくれていたんだ、と嬉しくなりました。

 吉原宏太は、1996年のコンサドーレ札幌誕生とともに入団した高卒ルーキー。なんでも初芝橋本高校のエースとして、高校選手権でチームをベスト4に導き、本人も得点王になったもののの、Jクラブからはどこからも声がかからず、プロ絵の道をあきらめかけていたところに、コンサドーレから声がかかったといいます。

 当時はあんあり意識していませんでしたが、高卒ですぐにスタメンのFWって、なかなかないことですよね。この年はレギュラーとして27試合に出場し、7得点をあげています。当時のJFLのレベルは今のJ2よりは低かったとは言え、高卒ルーキーとしては結構な成績です。そして98年には、札幌の選手としては、はじめてフル代表に選ばれました。

 甘いマスクもあって、コンサドーレ札幌という北海道の歴史上はじめて誕生したプロチームのシンボルとして、全道的なアイドルとなりました。それだけに、札幌がj2に落ちて2年目にチームを去ると、こうした移籍が初めてで、誰もが慣れていないために、かわいさ余って憎さ百倍で、ずいぶんと非難を受けたものです。

 でも、降格したクラブの生え抜きエースは、1シーズンは、移籍せずに下部リーグの生活に耐えるという、その後の暗黙のルールを作ったように思います(ちなみにそのルールをはじめて破ったのが、札幌の山瀬!)。近年、このルールが破られ、降格と同時に移籍する選手が増えるのを見ると、札幌を見捨てて出て行ったんだというよりも、1年は残ってくれたんだ、と思いたい。

 札幌を出てから何年も経ちますけど、成績を見てもやはり札幌時代が最も輝いていた時代。プロにすくい上げてもらって、1年目からレギュラーにさせてもらい、代表まで上げさせてもらったのが札幌なんだから、当然、強い思いをもっていると思いますよ。

 そろそろ、温かく迎えてやってもいいんじゃないかな、と思います。

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 このことは強く訴えたくって、二重投稿になってしましましたが、
「コンサドーレ札幌インフォメーション」にも投稿しています。
 http://www.phoenix-c.or.jp/%7Ehiro/bin/yybbs/yybbs.cgi