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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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2007年07月01日
サテライト戦を見に、白い恋人サッカー場に行きました。 鹿島アントラーズ相手に 4対1 の圧勝。 石井のハットトリックと良いことずくめですが、 メンバー表を見ると、鹿島はサテライトというよりも、 アンダー20にオーバーエイジが数人(柳沢もいました)という構成でしたので、 レギュラーに近いメンバーで固めた札幌は勝って当たり前かな。 それにしてもすばらしく良い天気でした。 お客さんもたくさん入っていましたね。
2007年07月01日
ワールドカップイタリア大会が終わると、私ははっきりとサッカーを意識するようになっていました。 そんな私でしたから、1992年のバルセロナ・オリンピックはすごく期待したんです。 スペインのバルセロナは言わずと知れたFCバルセロナの本拠地で、90年のバルセロナ・オリンピックの当時のFCバルセロナは、名将クライフのもとロマーリオ、ストイチコフが活躍し、リーグ4連覇、チャンピオンズリーグ初制覇を果たした黄金時代だったんです。 そしてオリンピックでも、FCバルセロナで主力を固めたスペイン代表は快進撃を続け、決勝まで勝ち進みました。 日本が出てないとはいえ、さすがに開催国が出場する決勝ぐらいは放映するだろうと私は期待して放映を待ちました。雑誌の写真でしか見ることのできなかったカンプ・ノウの全容が見れる。バルセロナのファンの熱狂が見れると、期待したんです。 ところがテレビはカンプ・ノウを無視しました。 バルセロナのオリピックで、FCバルセロナのメンバーを中心としたスペイン代表がカンプ・ノウで決勝を行うというのに中継しなかった。オリンピック史上初めての金メダルに輝き、10万人が空前の興奮に包まれたというカンプ・ノウの決勝を、日本のテレビはまったっく無視したんですからね(私が見逃していたならばご免なさい)。 その代わり日本のテレビは何を放映していたかというと、柔道、柔道、柔道、水泳、レスリング、陸上、そして柔道、柔道・・・。 たぶん、1ヶ月にわたってバルセロナからオリンピックが放映されようとも、ほとんどの日本人は、スペインは闘牛とフラメンコの国という偏ったイメージを変えることはなかっただろうし、バルセロナには、オリンピックスタジアムよりも大きく立派なスタジアムがあり、そこを拠点とするチームは世界的な人気を誇っていることなど、知るよしもなかったろうと思います。 放映のないことに愕然とし、また、マスコミはこうして日本国民の目からサッカーというスポーツを隠しているんだ、とつくづく思いました。 よく中山峠を超えてニセコ方面に行くんですが、厚い雲に覆われた曇天の日などには、羊蹄山の巨大な山容がすっぽりと雲で隠されるじゃないですか。あんなでかい山が見事に隠れるもんだと感心して見ているんですけど、サッカーもそんな感じで数十年も隠され続けてきた。 しかし世界にとってサッカーは巨大な存在です。日本のマスコミがいくら頑張ろうとも、いつまでも隠しきれるものではない。情報通信は発達し、世界は狭くなっていく。 バルセロナ・オリピックの翌年に始まったJリーグの突然の熱狂の理由は、こうしたことだと思います。
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コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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