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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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2007年10月31日
おはようございます。今日で10月最後ですね、今年も残り2ヶ月ですよ、早いですねぇ・・・つい最近年が明けたばっかりかな?・・・なーんて思っていましたから(爆) そういえば日本シリーズは中日が勢いに乗ってますね。日ハムが負けていて両親は機嫌が悪いですが(爆)まして職場の日ハムファンもなんとなーくピリピリしています(苦笑) ここにきて日ハムは金村と八木がいないという事がちょっと大きいのかなぁ・・・って気がします。中日の荒木&井端の二遊間は脅威ですからね。まあ僕としてはいち野球ファンとして勝負の行く末を見守りますけど。どちらかを応援するというとはせず中立な立場で見ていきます。 さて、今日は月末って事でこのブログお約束の固い話を展開します。よかったら目を通していただければ幸いです。
報道 言葉だけ見ると簡単だけど実際はとても難しい。 報道・・・平たく言うと「ニュース」は私たちの生活に欠かせないものになっている。それは自分たちの生活に関わる情報を提供している事になるし、自分の趣味や興味に関する情報を得る事もできる。 天気予報を例に挙げてみよう。 今日の天気が晴れだとする。晴れによってメリットのある人たち・・・例えば遊園地で働く人とか屋外で働く人たちにとって晴れの日は稼ぎ時と言えるでしょう。逆に雨の日では農家の方々にとっては「恵みの雨」となるはず。ちょっとした情報は極端な話になるが「死活問題」にまで関わる情報だ。僕たちはそういった情報を注意深く見聞きすると思う。 最近そういった報道に関しての是非が問われてきている。 先週の土曜日に「たけしの教育白書」という番組が放送されていたのをご存知でしょうか?実はその番組の中であるテーマで討論がされていました。 「テレビの責任」 先ほど「報道」と書いたが報道にもいろんな種類があると思う。例えばスポーツ中継もある種の報道でしょう。芸能ニュースもある。報道というものは「中立」でなくてはいけない。ところが報道があまりにも過剰すぎて全く違う方向を向く事がある。時には報道番組がワイドショー化しているような傾向だって見受けられる。 実際にナレーションやテロップを利用してちょっとした事を面白おかしく報道する・・・それはやっている方としては必死なのかもしれないけど捉え方によってはある種の暴力と言ってもいいかもしれない。 あるひとつの事件があったとしよう。それがあったという事実を伝える事は間違った事じゃない。でもその出来事を根掘り葉掘り掘り下げて面白おかしく伝えようとする。深く追求していく・・・報道される側にとっては場合によっては追い詰められていくだろう。 先日の力士が亡くなった件などはいい例だ。この度の事件に関しては該当する力士のご両親の心痛はものすごい悲しい事だと感じます。自分の子供を死なせるために相撲界に行かせたわけじゃない・・・そういった心情を全く無視したかのように力士の実家に張り付く報道陣・・・視聴率や特ダネを得るためには被害者の心情やプライバシーを全く無視しているかのよう・・・まるで血も涙もない感じがしました。獲物を狙う獣のようにも感じました。 「テレビは社会の規範となるような高尚な立場にいるべきなのか、それとも、もっと低い立場にいるべきなのか・・・どっちですか?」 先の番組の中であるパネリストがこう訪ねた。僕自身はテレビ自体がものすごくレベルの低いものに成り下がったと感じます。実際にテレビを通じて「自分を見失っている人」という人たちを目にしてきているでしょう。 テレビという機械から出される映像や情報は機械を通じて報道されるからある意味「機械的になってしまった」のか?そうであればそれは悲しい事じゃないだろうか?だって元をたどれば血の通った人間が情報を提供しているものなのだから。 報道も人間味あふれるものにならないのかなぁ・・・最近特にそう感じるのです。
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