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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。

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コンサなお店に行っちゃいました!!

2006年03月29日

さりげなく今日も2回目の更新・・・(汗)

先日コンサなお店で食事をしました。それはどこか??

ここですっ!!!



らーめん加茂川さんです!!

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店内は所狭しとコンサグッズでいっぱいです!岡田コンサ時代のものが中心でした。

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店主の加茂川さんとも色々お話させていただきました。もちろんラーメンも頂いてきましたよぉ!

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これがこの日最初で最後の食事・・・まだ食欲が・・・(T_T)

でもこの日のこの時間は楽しいものでした。僕もこのブログの名刺を渡してしっかり宣伝させていただきましたっ!!(爆)

このブログの名刺はたぶん掲示されているでしょう、よかったら見てくださいね!

そして加茂川さん、おいしいラーメンありがとうございました!!また寄らせて頂きますね!!



post by ダイ

19:08

コンサ コメント(4)

F1ドライバー列伝VOL.12

2006年03月29日

札幌は大荒れです。

ツバカッター!!

ちょっと壊れかけています(爆)

F1がらみのエントリーを見ていたら「あ゛っ!!列伝書いてねぇ!!」って事に気づいたんで今日は列伝をアップします(笑)

相変わらずマニアックな内容になっていますので興味のある方は続きからどーぞ!



さてさて、今回はこのドライバーに注目しました。3度のワールドチャンピオンにもなったあの人です。しかも自分の名前がついたサーキットがあるというそのドライバーは・・・

Nelson Piquet  ネルソン・ピケ

本名ネルソン・ソトマイオール。1952年8月17日生まれのネルソン。ブラジルのリオデジャネイロ出身で、ブラジル政府の大臣の息子として生まれた。高校までテニスプレイヤーとして活躍したが、アメリカでのテニス留学中にモータースポーツに興味を持ちカートでレースを始めた。

それで「ピケ」という名前は親に隠れてレースをしている事がバレないようにレース活動をするために名乗っていてそれ以来ずっと使い続けている。「ピケ」は母親の旧姓。

1978年エンサインというチームからデビューしたネルソン。翌79年にはブラバムへ移籍、ニキ・ラウダのNo.2としてチームに加入した。終盤ラウダが引退したためエースに昇格、80年のアメリカ西GPで初優勝を飾る。その年計3勝を挙げてチャンピオン争いに加わるもランキング2位に終わる。しかし、これがバネになって翌年の最終戦で逆転でチャンピオンになる。続く83年もアラン・プロスト相手に同じように最終戦で逆転して2度目のチャンピオンになった。

1986年、ウイリアムズに移籍したネルソン、完全No.1待遇のはずがチームの混乱によってそうでなくなってしまう。

フランク・ウイリアムズの交通事故による下半身不随、これによってチームはゴタゴタし、イギリス人ドライバー、ナイジェル・マンセルにチームは急速に陶酔していった。その時点でネルソンとナイジェルは不仲になりこの年コンストラクターズタイトルは得たもののドライバータイトルはプロストに持っていかれた。

翌87年にはチャンピオンに返り咲く。通算3度目、そして最後のワールドチャンピオンだった。この年の第2戦サンマリノGPの予選中にクラッシュを演じその事故の後遺症に苦しみながらの王座獲得だった。

88年にはロータスに移籍、チームメイトは中嶋悟。このロータスでの2年間でネルソンは1勝も出来なかった。

90年にはベネトンへ移籍、ギャラを完全出来高制にするという異例の契約をし、その年の日本GPで3年ぶりに勝利をあげる。チームメイトの悲劇を乗り越えての勝利だった。

翌91年でもカナダで勝利、ピレリタイヤ最後の勝利でも知られる。勝てる位置に必ずいるのがネルソンのうまさなのだろう。この年ミハエル・シューマッハーがチームに加入、この一件でチームに不信感を抱いたネルソンはチームから離れるが移籍先を見つける事が出来ずにそのままF1から去ってしまった。

代わりにインディ500に参戦するも予選で大クラッシュを演じ、両足を複雑骨折するという重症を負った。幸いにも両足切断にまでは至らなかったもの歩く姿はあまりにも痛々しいものだった。このままレースから引退する事になる。

ネルソンの走りは確実性を伴った走りでアーティストと評されるほど無駄のない芸術的なものだった。例えばシフトダウンするにも正確に、丁寧にシフトダウンしていく。これはその辺のドライバーでは真似出来ない技だった。

そしてネルソンの最大の魅力は不良っぽい、ギャンブル的なセッティングを試みる事だ。最後のコンマ1,2秒が欲しいために思いっきり且つ大胆なセッティングの変更をやってしまう。それは端から見れば無謀と思える作戦をネルソンは平気でやってしまう。

代表例として、雨のレースなのにスタートではスリックタイヤ(晴れ用のタイヤ)でスタートしたがすぐにリタイヤしてしまった。そんな失敗例もあるが成功した時には手をつけられないほどの速さを見せつけた。

そして同じブラジル人のセナとは大変仲が悪く(ピケがカリオカ、セナがパウリスタであることが大きな理由らしい)、「あいつが乗ったマシンに乗るなら念入りに消毒する必要がある」と発言した事もある。ただ、そのセナが94年イモラで事故死すると「私もそこで事故にあった事がある。」といってショックを受けていた。そう、87年のイモラでの事故というのは「タンブレロ」での事故だったのだ。89年のベルガーの事故といいタンブレロには因縁があるようだ・・・

ではそんなネルソンのベストレースはどれか?迷ったが一番印象に残ったレースを取り上げることにする。

1990年第16戦オーストラリアGP。

F1が始まってから通算500戦という節目のレース、この決勝当日の朝ネルソンは大胆なセッティング変更を行った。レース開始数10分前だというのにウイングを下げ、レスダウンフォースセッティングに変更した。これが見事に当たってレースで快走!終盤、マンセルの猛追を振り切ってこのレースを勝利した。このレースでネルソンの担当メカニックが引退する事になっていた。彼のためにも是が非でも勝ちたかったのだろう。その想いは実を結んだ。そのメカニックの名前は「津川哲夫」。彼にとっても最高のレースに違いない。

以上です。次の列伝までお楽しみに!!