2006年05月01日

忘れない、この日を絶対に忘れない!!

5月1日、この日は僕にとって生涯忘れられない一日です。

内容はかなりブルーなものですがよかったら読んでください。僕の正直な気持ちを綴りました。そして、それなりに長いです(笑)

1994年5月1日、この日世界中が悲しみの涙で満たされた。

アイルトン・セナ死去、享年34歳。あまりにも早すぎた死だった。

今年でアイルトンが亡くなって12年が経ちます。もし彼が生きていたら46歳になっていたはずです。その間F1の世界も様変わりをしました。昨年から「F1ドライバー列伝」という記事をアップし続けていますがその1回目がアイルトンでした。そこで今日はもう少し掘り下げてアイルトンを振り返ってみます。アイルトンがこの世を去ったこの日を絶対に忘れないために・・・

ここで今一度彼のプロフィールを振り返ってみます。

Ayrton Senna Da Silva アイルトン・セナ・ダ・シルヴァ

1960年3月21日生まれブラジル・サンパウロ出身。

4歳の頃にカートを親から与えられてそれがきっかけでレースに夢中になる。13歳で本格的にカートレースをするようになり1978年には日本に初来日しそこでもカートレースをした。

1980年には結婚をし活動をイギリスに移すことになる。その後離婚を経験したが1983年にイギリスF3タイトルを獲得、その翌年、トールマン(現ルノー)からデビューを果たす。

が、1994年5月1日、イタリアはモデナという街にある「イモラ・サーキット」の「タンブレロ」という高速コーナー(今はシケインになっている)でクラッシュし、この世を去った。享年34歳、あまりにも早過ぎる死だった。

1984年から1994年までの10年間で出走回数が161、優勝が41、通算獲得ポイントが614、表彰台回数が80、ポールポジションが65、ファステストラップが19、タイトル獲得3回の実績を残した。

ちなみにセナというのは母親の旧姓で正確な本名は「アイルトン・ダ・シルヴァ」なのかもしれない。

ちなみに若手時代は「ハリー」と呼ばれていたようです。この由来を知っている方はいますか?みかんさん知ってる??



さて今回の記事でピックアップしたい点が4つあります。雨の速さ、セナ足、レーススタイル、そして事故・・・

雨の速さについて・・・

少年時代にカートでレース生活を過ごしていたアイルトン、ある雨のレースでライバルたちに全くついていけずに惨敗を喫した。その悔しさゆえに雨が降る日を選んで練習走行をするようになった。これが「雨のセナ」と呼ばれる原点だったのかもしれない。アイルトンは「天才」と呼ばれる事があったがその影では人知れずの努力があってその事を忘れるような人ではなかった。
後日談だがアイルトンは雨のレースを得意とはしていたが実際は雨のレースは好きではないということを告白していた。これはレーシングドライバーであるならば「普通の反応」であって中嶋悟も同様の反応を見せたと言われている。

セナ足について・・・

セナ足とはセナが行うアクセルワークの事だがもう少し正確に記すと1秒間に6回もアクセルの開閉を繰り返し、バタ足というよりは「けいれん」に近い動きです。これによってコーナリング中のエンジン回転を上げて高いスピードを維持することができた。そしてコーナー出口でアクセル全開にする時にも加速の点で有利に働き、ホイールスピンを起こさないという利点もあった。

例えば鈴鹿ならS字、逆バンク、スプーンで「セナ足」が見られた。こう考えるとセナ足の使用目的は「高速維持と出口加速力向上」ということになるだろう。燃費は悪くはなるけど立ち上がりの加速は本当に素晴らしいものがある。

ちなみにセナ足と言う言葉は「日本だけで使われている言葉」ということも付け加えておく。

レーススタイルについて・・・

セナは予選でポールポジションを取り、そして決勝では序盤に大きな差をつけ中盤はそのマージンをキープし、終盤はクルマを労りながらゴールするという典型的な「先行逃げ切り」タイプのドライビングをします。

ただ同じスタイルのマンセルと違って「計算された先行策」である事を強調します。なぜか?ある特徴に表れているからです。

それは「ファステストラップが異常に少ない」という事実が物語っているからです。

例えばプロストは「決勝で速ければいい」という考えから決勝のファステストラップが本当に多かった。マンセルは「イケイケドンドン」なレースを展開し「ファステストラップを常に塗りかえることが自分のマイペース」なので彼もファステストラップが多かった。

アイルトンは序盤に飛ばすには飛ばすけど中盤はマージンをキープする戦略をとるのでガソリンが減ってきてマシンが軽くなるレース中盤から終盤にかけてはペースアップをそれほどしない。だからファステストラップが少ないといえる。ちなみにファステストラップ数は通算19回、彼の実績を考えるとビックリするほどの少なさではある。

そしてなんといってもブロックのうまさ。マシンポテンシャル的に不利な状況の中で一瞬の隙をついて前に出てその後は見事なマシンコントロールと無駄のないライン取りでライバルを押さえ込むレースを展開していた。代表例が92年のモナコでしょう。

さらに上記とは逆にセナのペースの方が速いのにライバルに押さえ込まれて2位や3位、それ以下に甘んじるというレースがほとんどないという点も注目できるでしょう。って事は、基本的にイコールコンディションなら、もっと言えばドライバー自身のポテンシャルで言えば「誰もセナには敵わない」と結論する事が出来る。

そしてなによりも「音速の貴公子」というニックネーム(By古舘伊知郎)の由来になったのが「予選での速さ」でしょう。

たった1周にかける集中力たるは本当に素晴らしいものです。90年の鈴鹿でのタイムアタックを覚えているだろうか?誰よりも速くシケインを通過するセナを見て本当に感動したのを僕は今でも覚えている。ちなみに89年の鈴鹿でのポールタイムと2位プロストとのタイム差が一番大きな差だった。約1秒7の差。アドバンテージがあるにもかかわらずセナは予選での速さを追及し続けた。ちなみに1988年第14戦スペインGPから1989年アメリカGPまで8戦連続ポールポジションを獲得したアイルトン、この記録は未だに破られていない。

そしてセナの速さの秘密として彼が「左利きであった」という事実がある事も付け加えておきます。

そして事故について・・・

今回の記事を書くに当たって絶対にはずせない事柄・・・

1994年5月1日F1グランプリ第3戦サンマリノGP決勝。このレースでポールポジションを獲得したアイルトン。レーススタートをしセナ1位、2位にはミハエル・シューマッハーがピタッとついてくる。そんなミハエルの猛追を受けつつ扱いにくいマシンを操るセナ。

悲劇は7周目に起こった・・・

7周目に入って最初の高速コーナー「タンブレロ」。そのコーナーを通過しようとした時突如セナのマシンが直進する形でコースアウトし、コース脇のコンクリートウォールに激突した。マシンは文字通り大破しセナ本人はヘリコプターで病院に搬送されるもまもなく死亡した。(正確には脳死判定が下ってその後心停止に至った)

その惨状はセナの青いレーシングスーツが血で「赤く」染まるほどだった。何とも皮肉な結果になってしまった。

事故の原因としてはステアリング系統のトラブルによるマシンコントロールが出来ない状況に陥ったと考えられるが実際は未だにわかっていない。ひとついえる事はアイルトン自身のミスではないということだけです。

この事故によってウイリアムズチームの首脳陣は事故の過失性を疑われて裁判にかけられたが結局は無罪判決が下った。
当然だと思う。チーム関係者だってマシンのトラブルを察知する事なんで出来るわけがないし、マシントラブルさせるためにマシンを作るわけではないはずだ。

そしてアイルトンの死因に関して・・・

コンクリートウォールに激突して大破したマシンの破片(サスペンションアーム)がアイルトンのヘルメットをのバイザーを貫通してアイルトンの頭部に弾丸のように直撃した事が致命傷になったという見方が一番有力視されている。

今回の記事の為に調べて初めてわかった事なんだけどアイルトンは前日に亡くなったローランド・ラッツェンバーガーにレース後哀悼の意を表する心づもりがあったらしくFW16のコックピットの中からオーストリア国旗が発見されたという。何とも皮肉なことだ。

アイルトンの死はブラジルに多大なるショックを与えてしまった。

当日ブラジルではサンパウロでサンパウロFC対パルメイラスの試合が行われたが試合開始直後に試合を中断、セナに対して黙祷が捧げられた。テレビ局もこの日はセナ一本に番組を構成し一日以上放送し続けた。新聞は即日完売、葬儀中継の視聴率は50%を超えたという。

ブラジル政府もアイルトンの死に対して国葬の礼をもってあたり、亡骸はサンパウロ市にあるモルンビー墓地に葬られた。墓碑銘は「NADA PODE ME SEPAPAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」。

ブラジルではセナの命日5月1日を「交通安全の日」に制定している。

アイルトンは日本を愛していた、そして僕たちもアイルトンを愛していた。アイルトンと日本、ホンダが繋いでくれた相思相愛の関係は本当に日本のF1ファンに幸せをもたらしてくれた。

皆さんはアイルトンをどのような形で知りましたか?僕は「週刊少年ジャンプ」で知りました。もちろん89年の鈴鹿のレースをチラッと観ていたけどよくはわからなかった。ひとつの情報源としてジャンプの果たした役目というのは本当に大きいと思う。そんなアイルトンが亡くなってもう12年・・・未だに信じられないです。どこからかひょっこり表れてきそうな感じが今でもします。

皆さんもアイルトンに対してはそれぞれ想うところがあるでしょう。僕の想うところは理解していただけたでしょうか?僕は今でもアイルトンを尊敬し、そして愛しています。今、F1が好きでいられるのもアイルトンがいたからなんですから。





アイルトン・・・あなたは何故あの日レースをしなければいけなかったのですか?

ルーベンスのクラッシュやローランドの事故を目の当たりにしてあなたはひどくナーバスになっていた。たった1レース棄権してもよかったはず、なのにあなたは何故レースに参加したのですか?

僕たちはいつまでもあなたがF1で走っているのを見たかった。個人的にはあなたが大好きなフェラーリで走るところを見たかった。それが出来なくて本当に残念です。

あなたはレースを本当に愛していた、そして誰よりも安全については人一倍気にしていた。そんなあなたが事故で亡くなってしまうなんて未だに信じられません。

僕たちはあなたに対して憧れを抱いていた。そしてあなたが一番前でレースをスタートしそして1番にゴールする姿を見て僕たちは誇らしく感じていた。

あなたは今まで走ってきたレースを振り返ってみてどのレースが印象的でしたか?

初優勝のポルトガルですか?あの時雨の中であなただけが安定感あるドライビングを見せてくれましたね。

87年のモナコですか?このレースからあなたの「モナコ伝説」は始まりましたからね。

88年の鈴鹿ですか?スタート直後エンジンストールしてしまって一時はどうなるかと思ったけどその後の猛追撃は圧巻でした。

90年のアメリカですか?あなたはこのレースで本当にレースを楽しんでいた。若いアレジを昔の自分とダブらせていたのですか?

91年のブラジルですか?母国での初優勝、その時あなたはまるで生まれたての赤ちゃんのように泣いていましたね。クルマが6速しか使えない状態で本当によく走りきりましたね。

同じ91年のハンガリーですか?本田宗一郎さんが亡くなった後の弔いレースにあなたは見事に勝ちました。ホンダとの関係を堅く守ったあなたを僕は誇らしく感じました。

92年のモナコですか?ウイリアムズのアドバンテージが大きい中であなたはやっぱりモナコでやってくれましたね。この日の夜日本中がどれだけ歓声をあげた事でしょうか?レースでこれほど興奮した事はありませんよ、アイルトン。

93年の南アフリカですか?アランとのバトルは本当にデッドヒートという名にふさわしいものでした。こんなバトルをずっと僕たちは待っていました。そしてあなたとアランの後ろからついてくるミハエル・・・この時世代交代の予感をあなたは感じていたのでしょうか?

93年のブラジルですか?雨のレースを落ち着いてこなし、母国での2勝目ですね。どんな気分だったんですか?

93年の鈴鹿ですか?あなたが愛した日本で、そして鈴鹿で勝てた事は本当に嬉しかったでしょうね。

そしてあなたが最後に勝利したオーストラリアですか?今まで確執が続いていたアランとの和睦は本当に嬉しかったです。あんな感動的な場面はもう見る事が出来ないでしょう。

あなたの走ったレースを振り返ると色んな思い出が甦ってきます。それはすごく楽しいものですがあなたが既にいないという現実を直視せざるを得ないという寂しさにも駆られます。

アイルトン、どうしてあなたは死ななければならなかったのですか?

アイルトン、あなたはよく聖書を読んでいましたね。あなたが神を信じ、神を愛していることも僕たちはよく知っています。あなたは聖書にあるこの言葉をご存知ですか?

「あなたの目はまっすぐ前方を見るべきである。あなたの輝く目は自分の前をまっすぐ見つめるべきである。」

あなたは前を向いていた、常に前を向いていた。だからたくさんポールポジションを獲り、そしてレースにも勝利を重ねてきた。飽くなきその姿勢は「常に前を向いていた」からなのでしょう。

アイルトン、2000年にあなたの勝利数「41」に並んだ時のミハエル・シューマッハーの涙をあなたはどう感じますか?

ミハエルはあなたに憧れてレースの世界に飛び込んできました。あなたの背中を追い続けてきた。そんな彼だからあえてあなたに「生意気な態度」をとり続けたのかもしれませんね。

僕はあの涙を見た時は本当に嬉しかった。初めて「人間」シューマッハーを見た気がします。彼もあなたをリスペクトしているんだなと・・・

そして貴方が亡くなってから12年後のサンマリノGPでミハエルがあなたのポールポジションの記録を抜きました。あなたはきっと喜ぶことでしょう。

あなたのF1人生はホンダと共にあったといっても過言ではありません。あなたが奏でる「ホンダサウンド」は本当に素晴らしいもので心地よいメロディです。

なによりあなたのブロックのうまさは感動的でした。92年のモナコでナイジェルを押さえ切ったレースを改めて見てどんなに圧力がかかっても絶対道を譲る事はなかった。そのうまさをもったドライバーは今はいないです。あなたよりブロックのうまいドライバーを僕は知りません。

そして人として取るべき道を常に示してこられましたね。やさしさを示し、命の尊さを尊重し、人との関係を重んじ・・・僕の思考はあなたのそんな姿勢に影響を受けました。

だから、アイルトン・・・あなたを失ったのは本当に辛いことでした。

あなたが亡くなってからあなたの功績を讃える展示会にも足を運びました。あなたが実際に着たレーシングスーツやシューズ、グローブなどを見ましたよ。見るたびにあなたがそばにいるような錯覚にさえなるほどでした。でもあなたはもういない・・・

アイルトン、僕はあなたを愛していることをわかっていただけましたか?あなたとお話する事は出来ない、あなたと握手する事も出来ない・・・でもあなたは僕の心の中でずっと走り続けています。常にポールポジションからスタートしてずっと走っています。


だから、僕はあなたの事は忘れない、絶対に忘れない!!あなたの事を未来の子供たちに伝えるために、僕はあなたを忘れない!!そしてあなたがこの世から去った「5月1日」という日を忘れない、この日を絶対に忘れない!!

You might have brought me something good

Why didn’t you let me know what it was

I believe we could have been together

Oh I need you so much

I’ll never say good−bye

Ayrton・・・Forever!

posted by ダイ |08:35 | モータースポーツ(F1など) | コメント(11) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

(ToT)アイルトン・・・

私をF1にはまらせた人。
私を魅了した人。
私を虜にした人。

彼がいなければ私はF1に出会わなかったかもしれない。
私の中で彼を超えるドライバーは誕生しないでしょう。
例え記録を上回ったとしても。

彼の走り、彼の笑顔、彼の涙は私の脳裏に焼きついています。
今もあなたは私とともにあります。

Ayrton forever ・・・

posted by TAK | 2006-05-01 09:00

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

俺はね、
このレースを見ていたよ。

そして 
ずーーーっと泣いていたよ。

僕にF1の面白さを教えてくれた
セナとプロスト

あの頃は楽しかった。

posted by 暢気 | 2006-05-01 09:31

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

涙で・・文字が滲んで読むの苦労しました。

あの時のコンクリートの壁とそこに止まってる・・・
忘れられない光景です、でも音が思い出せません、静寂だったきがします。今もこんなに涙がでてくるのはなぜでしょう。


セナ・・・柳下監督と同い年だったんですね・・・

posted by よっさん | 2006-05-01 10:30

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

ダイさん、

自分の大切な人を失うというのは本当に辛い事です。

私はF1は全然興味が無くて、観てませんでしたが(ゴメン!)セナの存在は
知ってました。仲の良い友達がセナの事が大好きで、部屋にポスター貼って
たの。セナが亡くなったあとは凄く落ち込んで、毎晩ビデオを観ては
シクシク泣いていたようでした。

彼女しかり、ダイさんしかり、他のセナファンしかり。。。
みんなを熱狂させ、ここまで愛されるセナっていう人は肉体は在らずとも、
魂はまだまだちゃんと生きてるって気がしますね。

私のフレディ・マーキュリーに対する気持ちと同じかなぁ(~_~;)??

posted by birrla | 2006-05-01 10:40

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

やはりマクラ−レン時代が忘れられない私にとって
セナは微笑みながら星になってしまったというような印象。

確か自分が入社してすぐのGWで、
実家でテレビで見てて動かなくなったウィリアムズのマシンが衝撃的で、
確かセナが亡くなる前に死亡事故が起きたばかりですごく雰囲気が良くなかったんですよねぇ?

実は自分セナがお立ち台でよく被ってた青い帽子持ってます。
しかも2年前、新宿でセナ展なる催しを開催しててそれにも行きました。
栃木に行けばまだマクラ−レンMP4/6が綺麗に飾られていると思います。
そうした事でふと思い出して、故人を偲ぶ事が今を生きてる人の役目だと思うので・・・。


自分でどうステアを切って、アクセルをどの位開けて、狙ったところでブレ−キ踏んで・・・と思い通りに動かすためにどう動かせばいいのかというところで、セナにはテクでは追いつかないけど自分なりに色々と車の特徴出してやろうと頑張ってサ−キットや峠に通ってた時があります。(ほんとは頭文字Dの影響ですけど・・・)

ダイさんのセナの思いにすごく愛情を感じました。

やっぱり北海道帰ってからシビックR買おうかな・・・。(こら)

posted by りおりお | 2006-05-01 18:00

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

・・・辛くて読めません(T_T)でもちゃんと読みましたよ。
 
あの日、深夜に衝突シーンを見て、しばらくテレビの前から動けなかった…。
そして眠れなかった…。セナの死を知った時、涙が止まらなかった。
その後、ニュースの度に泣いた。
しばらくF1が見られなかった。
 
どうして死んじゃったんだろう…。
ダメだ…もう書けない(+_+)
 
最後に『アイルトン、ありがとう!』
 
追伸:
 「ハリー」というニックネームの由来、分からないなぁ(>_<)
 色々、アイルトンの本は持っていたんだけど、今はないんだよねぇ((+_+))
 あったら調べられたんだけど、ごめんね。

posted by みかんちゃん | 2006-05-01 19:30

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

セナに関しては、ドライバー列伝で書いた通りなので、私に書く資格はありませんが、今までも、そしてこれからもセナのようなドライバー、セナを超えるドライバーは出てこないでしょう。

あと、もう一つ。
セナの命日のついででもいいので、ローランド・ラッツェンバーガーというドライバーがいたことも、思い出してあげてください。

God bless Senna. and God bless Ratzenberger.

posted by 鈍足の貴公子・ふみち | 2006-05-01 21:30

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

あの日のことは今でも鮮明に脳裏に残っています。
何が起こったのか、
何が起きているのか。
正確に理解できていない自分がいました。

90年の鈴鹿の日、修学旅行で奈良にいた高校2年生の僕らは本気で鈴鹿に行くことを考えました。
サーキットに入れるわけも無いのに・・

あの日を境に僕のF1に対する気持ちが醒めていってしまったのも事実です。
あの頃が一番楽しかったなぁ。

posted by kabao | 2006-05-01 22:02

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

コメントありがとうございます。そして昨日も多くの方がこのブログを見てくださいました。コメントのあるなしに関わらずアイルトンへの思いはそれぞれでしょう。それを感じる事が出来ました。改めて感謝します。昨日、そして一昨日と硬い内容でどうかな?と思ったけどこう読んでくださる方がいる事を大変嬉しく感じています。

ではレスを・・・

>TAKさん

アイルトンは全てにおいて魅力的でしたね。ミハエルが記録に残る偉大なドライバーでもアイルトンは記憶に残る、しかもずっと残るドライバーですよね?そんなアイルトンを知る事が出来た事を僕はすごく幸せに感じています。

>暢気さん

僕も泣いていました。家でも学校でも。一日中泣いていた。アイルトンとアランはレースにおいても政治面でもF1の表と裏を教えてくれましたよね?本当に楽しかった。あの頃にはもう戻れないんでしょうね・・・

>よっさん

今もこんなに涙があふれる・・・それはよっさんも僕と同じでアイルトンの事を心から大好きだからですよ。12年経っても未だに忘れる事は出来ません。
柳下監督と同い年なんですね?ちょっとビックリしました。

>birrlaさん

辛いよね?本当に辛い。大切な人を失うという事は。たとえそれが「ブラウン管の中での存在」だったとしても。実際の死や他の面でも今まで大切にしていた人との関係がなくなる事は僕にとって本当に辛い事なんです。憧れの存在や友人でも・・・
アイルトンは僕らを熱狂させてくれました。birrlaさんがフレディの事を想う事と全く同じです。あまりに大きな存在を失った時、人ってなんて弱いんでしょうね?その事を痛感させられています。

>りおりおさん

アイルトン=マクラーレンですよね?あの頃のマールボロカラーのマクラーレンは本当に大好きでした。
ローランドの事故の後なんで雰囲気は最悪、アイルトンも目が虚ろでした。なんでそこでアイルトンはレースをしなければいけないのか?未だに疑問です。
僕もアイルトンの帽子持ってます。京都のF1ショップで買いました。最後のその写真をアップしようとしたのに忘れてしまいました。
僕は常にアイルトンの事を思い出しています。僕にとってアイルトンはヒーローであるし、アイドルだったから。MP4/6見たいなぁ・・・
僕がアイルトンに抱いている感情を理解してくれてありがとうございます。

>みかんさん

辛いかもしれないけど書いて欲しかった。僕もこの記事を書くのは本当に辛かった。誰にも相談する事ができないから。あなたなら分かってくれると思っていた。おそらく僕以上にアイルトンの事を愛しているんだから。だからこそ書いて欲しかった。今度そちらのブログで書いてみたらいかが?あなたか想うアイルトンのことが知りたい。そして僕は後悔してますよ、もっとあなたとF1の事を話していればよかったって。もし、まだ手元にあるのなら「赤いMD」の最後の曲を聴いてください。

>ふみちさん

仕事中に「列伝」のふみちさんのコメントを改めて読みました。その言葉に重みを感じましたよ。ふみちさんもアイルトンを認めてくれてますもんね?
もちろんローランドの事は忘れてませんよ。ただ悲しいですよね、アイルトンに隠れちゃっているし。僕はローランドも忘れてませんよ!

>kabaoさん

鮮明に残ってますよね。僕も同じです。僕も93年修学旅行で京都にいた時に本当に鈴鹿に行こうと思いましたもん。
僕もイモラのレースを境にF1を見る事を止めようと想いました。でもアイルトンがいなくなった後F1がどうなるのか見届けたかった。アイルトンが出来ないことを僕らがしなくちゃ・・・って感じて今でもずっと見ています。これからも見続けるでしょう、アイルトンが愛したF1を・・・

posted by ダイ | 2006-05-02 08:30

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

レス遅くなってすいません。
あのレースは呪われていたとしか思えません。
1レースで2人も亡くなるなんて・・・。

そして、セナはセナであり続けるためにあのレースにでたのでしょう。そして、セナであり続けようした結果・・・。
すべてが残酷で、でもそれが現実で・・・
本当に時をもどせるのならもどして欲しいくらいです。

今のF1を見ていると本当に安全性が向上しています。それもセナの影響でしょう。

posted by kimtake | 2006-05-06 22:32

Re:忘れない、この日を絶対に忘れない!!

>kimtakeさん

アイルトンだからこそレースに出たんでしょうね。そしてある意味最期もアイルトンらしいかも・・・コメントありがとうございます。

posted by ダイ | 2006-05-08 19:00

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