2007年11月02日
かんどうを有難う
気がつけば1週間以上更新していませんでした。 と言っても、別のスポーツにかまけていた訳ではなく、 娘二人が立て続けに風邪を引いたからでした。 今年の風邪はお腹に来るようで、ベットやら洗面所やらに豪快にやらかしては その始末に追われ洗濯に追われと慌しく過ぎたと言うわけです。 学級閉鎖にもなったようで、皆様もお気をつけください。 そんな中、今日の新聞ではいたるところにバーゲンのお知らせと 感動をありがとうの文字。 いつからでしょうか、この表現が出てきたのは。 これが好きだという人はあまりいないとは思いますが、 自分もかなり違和感を感じるくちです。 ま、そもそもこの表現は大体負けたときに使われるってのがありますね。 勝ったときにはおめでとうだし。 負けたけど何とか取り繕わねばならないってのが ミエミエでしらけると言うのが一つ。 で、ありがとうってのは感謝の言葉です。 で、感動と言うのは自分の心が何かに対して反応するもので、 物を貰うように手に入れるものではないはず。 それに感動と言うのはある意味第三者的ですよね。 自分はコンサの試合を見て感動したことよりも、 わが身のこととして身を削られるような思いをする方が多いです。 特に最近は。 勝ったときには自分が勝ち、負けたときには自分が負けた気分。 昇格したときには感動と言うより、1年間の苦しい戦いを勝ち抜いた 達成感があると思います。 正直、コンサ昇格の際にはこの表現は使って欲しくないなあ。 で、ふと思いました。 ありがとうとは、お店がバーゲンをやって、客に来てもらえる。 イベントをすることができてありがとうという意味なのか。 それはそうと、大塚のケガ、見ているほうも痛みが伝わってきました。 全治9ヶ月とのこと、J1の舞台で待っているので しっかり治して戻ってきて欲しい。 前回のコメントレスです。
posted by kenji |22:03 | コンサ関連 | コメント(4) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント一覧
Re:かんどうを有難う
はじめまして。
この言葉、私も「違和感」派です。
はじめはたぶん「ドーハの悲劇」。
最近のインタビューで多い「感動を与えられる」も
なんか違うと思っています。
posted by kode| 2007-11-02 22:47
Re:かんどうを有難う
「感動」という言葉を最近は安易に使いすぎている気がします。
「感動をありがとう」
ヘンな日本語だな、と思います。
posted by ゆり| 2007-11-03 00:02
Re:かんどうを有難う
わたしも嫌いです、それ。
もう最近は日本全国総感動待望ですから、
「頼むから、わたしを感動させてくれ、泣かせてくれ」状態です。
タオル持って泣く準備してるんですから。
昇格したらわたしも泣くとは思いますが、
絶対に「感動をありがとう」とは言いませんね。
posted by rocket2号 | 2007-11-03 14:10
Re:かんどうを有難う
>kodeさん
はじめまして。よろしくお願いします。
そうか、ドーハですか。自分はフランスW杯の敗戦あたりからかなと思っていたのですが。
感動ってそんな簡単だったっけ?と思う今日この頃。
>ゆりさん
最近あまり深く考えなくなってきているのではないか、
と思ってしまいます。なんか安っぽいなあ。
>rocket2号さん
そうそう、人任せなんですよ。
先ずは自分で動けと言いたいです。
ともかく、スタジアムへ行き、声を出し、
失敗に身もだえしてこその感動ですよ。
あと一月、嬉し泣きしたいですね。
posted by kenji| 2007-11-04 21:15