コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2008年06月30日

本日、ハーフタイムデー

1年の半分が過ぎたということの記念日なのだそうです。
今年の前半を振り返ってみれば・・・

なんて悠長なことを言っている場合ではないですよね。
のこり半年が、チームにも選手にもサポーターにもハードな半年になることだけははっきりしています。

そのハードな日々の終わりに、きっと良いことがあることを信じています。

その芽吹きを、昨日2点目の同点に追いついた時に感じたような気がします。
2-4で負けたけれど、何か光明を見たような気もします。

明日から、7月。今さらながら、長谷川伸先生の名台詞を思い出すのであります。

この娑婆にゃ、辛ぇことや悲しいことが一杯あらぁ
でも、忘れるこった
忘れて明日になりゃぁ、またお天道様が出てくる・・・・

7月、反攻開始!

>Ryuさん
リクエスト、了解しました。本を見つけ次第連絡いたします。
しばし、お待ちください。

>rocketさん
まだまだこれからです。決して、あきらめちゃいません。

>はすえいんさん
お疲れさまでした。今夜は、早めに寝ます!


posted by クラシック |19:19 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月30日

起きてしまいました・・・!

予定より大分早く目が覚めてしまいました。
ユーロの決勝ですので、やはり最初から見ておきたいと思いましたので・・・

大阪での試合を見てエントリーした後、すぐに寝てしまいました。

ドイツXスペイン、勢いはスペインにあるような気がしています。
でも、ドイツにも地道なゲルマン魂を感じていますので・・・

どちらかを贔屓というか応援しているわけではないので、楽しみたいです。
堪能したいです・・・


それにしても、昨日のコンサのパス回しの遅さには参りました。
蒸し暑さもあったのでしょうか?

早く良い感じになってほしいです。

posted by クラシック |02:36 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月29日

敗戦のリスタート

コンビネーションができていないところをうまく突かれてしまった、そんな感じがしました。

札幌山脈も抜かれたり、体勢を崩してしまったり、マークがきちんとできていないとこんな結果になるのだと思いました。

ダビィとアンデルソンのコンビネーションも、上手く機能していませんでした。二人の意思疎通がきちんとできていれば、FWの得点も見られたのではないかと思いました。

最後は思わぬ差がついていましたが、途中までは期待の持てる展開でした。

もう一度、出直しです。

参戦サポの皆さん、お疲れさまでした。

posted by クラシック |20:51 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年06月29日

雨中の決戦

大阪地方は、降水確率60%です。
そうなると、ボールが弾まない、パスがきちんと渡らない、そんな試合展開も予想されます。

ハードワークが必要ですね、今回も!

試合開始と同時に意識を高く持って、臨んでほしいです。

皆さんのエントリーを読んでいますと、「敵食い作戦」は「たこ焼き派」と「お好み焼き派」に別れるようです。私は・・・・・

「たこ焼き」でいきます!

サポにとっても久々の試合です。

私も気合いを入れて、応援します!

>コンサの缶詰2号さん
美味しいクラシック、飲みたいですよね!
今日は「たこ焼き」をつまみに、試合開始と同時に飲み始めようかなと考えています。

posted by クラシック |06:00 | コメント(4) | トラックバック(0)

2008年06月28日

やっぱり「赤黒」は、いい!

今朝「アイスショー」のニュースを見ていたら、浅田真央選手の衣装が「赤黒」でした。氷上に赤黒が、見事に映えていました。

「赤黒」は、やっぱり素敵です!

中断期間が終了しました。

中断前の好調さを維持することができるか?
中断前の不調を克服することができるか?
中断前と何ら変わらない結果を残していくのか?

各チームそれぞれの真価が、問われることになるでしょう!

コンサドーレの中断前、ほとんどの話題が「選手、選手、選手」でした。
チームとしての機能が活動することなく、やられてしまっていたという感じもしました。

そして、リーグの再開。

残留目指して、がんばれ!

NO1代表くーさん、はすいえんさん、rocket2号さん、コメントをありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

明日も宮崎から応援します。

posted by クラシック |07:24 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年06月27日

4時半に起きました

ユーロ、ロシアxスペインも後半からの観戦になりました。
後半に入ってから、スペインが先制しました。
今日も、いいところ取りになるのでしょうか・・・

スペインが押しています。

posted by クラシック |05:01 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年06月26日

不精者に優しいユーロカップ

私が関心を持つ試合は、ほとんど後半しかも終了時刻間近に、大きな展開がおこっています。

今朝のドイツxトルコも、本当は3時頃には起きるつもりだったのに目が覚めたのは4時半でした。あわてました!

しかし、試合の山場はしっかりと見ることはできました。

だから明日の帝政ロシアxスペイン無敵艦隊も、無理に起きることはしないで自然の流れに身を任せて起きようかと思います。

でもこの試合は、何故か今からワクワクしています。

posted by クラシック |20:10 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月25日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~最終章~

札幌にはそうたやすくは行けないから、「せめて高知くらいは行きたい」という思いで参戦した2003年のホーム開幕戦。試合には負けたけれど、大炎会でコンササポの楽しさと面白さに浸ってしまいました。

そしてついに、夏8月に札幌での試合ドーム観戦に行くことを決めたのです。そしてGさんのHPにそのことをコメントして、「お世話になります」とお願いしたのです。
その時は、最初で最後のホーム観戦のつもりでした。

千歳空港には、Gさんが迎えに来てくれていました。またしても驚きました。その時には、もう驚きというよりも感動してしまいました。「試合を見に来ただけなのにわざわざ迎えに来てくれるなんて、コンササポは素晴らしい!」そんな気持でした。札幌駅周辺で食事をしながら、次の日の待ち合わせ場所や座席などについて打ち合わせをしました。その中でも、自分がまだコンサのことについては全く知識を持ち合わせていないことを痛感してしまいました。

翌日、Gさんとそのお仲間達との待ち合わせ場所の福住駅の出口に、ちょっと早めについてしまいました。
そして、見たのです!

レプリカを着たお年寄りと子どもが一緒に歩いている姿を!

レプリカを着た母親と子どもが一緒に歩いている姿を!

レプリカを着た家族が連れ立って歩いている姿を!

中・高年のカップルやグループが歩いている姿を!

若い人たちの姿や男性の姿よりも、こうした人たちの姿の方が多いのに気がつきました。感動しました!

「こうした人たちが、コンサを支えているんだ!」
「ファミリーで観戦に来てくれるコンサって、なんて素晴らしいチームなんだ!」

この時はっきりと

「コンササポになろう!」

と、決意したのです。

このドームデビューについては、対戦相手も試合結果も記憶にありません。
記憶に残っているのは、福住駅で見た光景とSB自由席で参戦したことと試合後のGさんのお仲間との打ち上げだけです。Gさんのお仲間との交流は、今でも続いています。この交流があるからこそ、札幌に行けるのです。

しかしこの「最初で最後の札幌試合観戦」のつもりが、秋の厚別、ソダンのハットトリックが出たドーム最終戦と5ヶ月のうちに3回も札幌に行くことになったのです。

初厚別では、競技場に向かうバスの中から、
民家に掲げられたコンサの旗を何本も見つけました。
またしても感動しました。民家にチームの旗が掲げられていたのを見た時、「地域にとけ込んだいるチームなんだ」と思いました。コンササポになってよかったと、またしても思ってしまいました。

現在コンサドーレ札幌の試合に参戦するのは、九州内での試合と、ドーム開幕戦とドーム最終戦だけです。自分でも、参戦試合数が少ないと思います。でも、自分なりにコンサドーレを応援し愛する気持は誰にも負けないと思っています。コンサドーレのサポとなったことで、いろいろなサポーターとの出会いがあり、生活のパターンも変わりました。50代を過ぎてコンサドーレを知ったことで、自分が予想もしなかった生き方になってきています。それはそれで、とても素敵なことだと思っています。

先日博多の「風車」で、はすえいんさんやmabu1965さんと話しているうちに、コンサと私の出会いをまとめておきたいなと思いました。なにせ頭の中で消しゴムが活動していますので、もう記憶が薄れていたり、あやふやになったりしているものもありました。

結局私が九州に今ではもう4チームもJチームがあるのにコンサドーレ札幌のサポーターになったのは、サポーターの素晴らしさとチームの持つ雰囲気のよさに尽きると思います。あらためて

コンササポの皆さん、ありがとうございます!

コンサドーレ札幌、ありがとう!


長々と駄文を連ねてしまいました。リーグ再開までに書き終わることができて、ホッとしました。読んで頂いた皆さんに深く感謝いたします。励ましのコメント頂いた皆さん、ありがとうございました。

これからも北海道から遠く離れた宮崎から、コンサドーレを応援していきます。このブログにもエントリーを続けていきたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

さぁ!次は勝つぞ!









posted by クラシック |02:31 | コメント(5) | トラックバック(0)

2008年06月22日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~第5章~

初めて生観戦した試合で、コンサドーレが勝ったものですから、この日以来私の心は「いつか、札幌でコンサの試合が見たい」、そんな思いがふくらんでいくばかりでした。
しかし、北海道は遠い!旅費も馬鹿にはならない!ということで、参戦を泣く泣くあきらめていたのです。

そして2002年、岡田監督が去り、H氏が新監督として宮崎に来ました。キャンプ地王国の宮崎にいながら、生まれて初めてキャンプを見に行ったのがコンサドーレのこの年のキャンプだったのです。

しかしこのキャンプで、H監督に対して凄い不信感を持った出来事を目にしてしまったのです。ある日、コンサドーレとホンダロックとの練習試合が計画されていたので、期待して見学に行きました。
ところが行ってみると、コンサドーレ対ホンダロックではなく、コンサとロックをかき混ぜて二つに分けての練習試合だったのです。どういう事情や理由があったのかは、分かりません。
「馬鹿にしている!」と思いました。J1のチームとの「試合」を楽しみに来たロックの選手や観客に対して大変失礼なことだと思ったのです。その次見に行った時、キャンプ視察に訪れたラモス氏に対する親密な態度を見て、さらにH監督への不信感、嫌悪感が増していったのです。この年の成績不振前から、H監督と私は合わなかったようです。

でも、コンサに対する思いは全く変わりません。むしろキャンプで選手達を目の当たりにしたことで、ますますコンサへの思いが募ってきたのです。
そして、2002年3月9日のホーム開幕戦、高知春野総合運動公園での対仙台戦に参戦したのです。この時は、大学生の頃に訪れたことのある高知市に、また行ってみたいという気持もありました。

結果は0-1の敗戦。J1の先輩として勝っておかなければならない試合でした。私は、ホーム側のスタンドで一人で「応援」というか観戦していました。
知り合いが一人もなく、かといって応援の輪の中に入っていくのが恥ずかしかったのです。

その夜、また一段と私とコンサを結びつける出来事がありました。そうです、

「大炎会」に初めて参加したのです。

初めは後悔しました。だって、知っている人は一人もいないのです。おまけにコンサのことについて詳しく話せるだけの知識も持ち合わせていません。仕方なく、一人で周りの人にお酌をしながら静かに飲んで食べるばかりでした。

しかし、宴の半ばになりいろいろな企画が進むにつれて、私も酔った為か会場の雰囲気のよさに酔ったのか、だんだん周りの知らない人たちと自然と会話するようになったのです。オークションが始まってからは、もうノリノリになってしまいました。だいぶん顰蹙を買ったと思います。しかし・・

こんな楽しい飲み会があったのか!

しかも、コンサのファンというだけの共通点で集まった人たちだけで・・

試合には負けたけれど、楽しく飲むことができました。酔ってしまいました。ちょっと出しゃばったところもありました。佐賀に住んでいるFさんを知ることもできました。Fさんとの初めての出会いで、私を覚えて頂き、それ以来お世話になっています。

コンササポって、こんなに楽しいんだ!
なんて素敵なチームなんだ!
なんていい人たちなんだ!

まだコンササポ!と呼べるまでにはいっていない私でしたが、コンサドーレサポーターの持つ雰囲気に、魅了されてしまったのです。

高知から宮崎に帰る飛行機はとても小さくてちょっと怖かったのですが、私の心の中は、いつ札幌に行こうかという思いで一杯だったのです。
春野での最後の試合に参戦したのも、何かの縁だったのかもしれません。

私の心の中は

札幌デビューをいつにするのか?

それだけでした。

posted by クラシック |21:28 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月22日

あと30分で・・・

決勝リーグ進出が決まったもの同士の対戦です。
バーレンの選手達は、前回の顔ぶれと代わっているそうです。一部には「手抜き?」という見方もあるようです。

しかし、私は「全力で、勝利を目指して欲しい」と思っています。
そうすることによって、サッカーの神様がついてくると思うからです。

2-0・・・希望する結果です。もちろん日本の勝利です。

posted by クラシック |18:31 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月22日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~第4章~

2001年、J1に昇格したことにより宮崎にも少しは、コンサドーレの情報が入るようになりました。ご近所さんから、「岡田監督を見た」というキャンプ情報も手に入るようになりました。しかし、まだこの頃には、キャンプ見学に行こうという興味も関心も起こりませんでした。

私にグッズをプレゼントしてくれたGさんは、HPを開いていました。私もいつの間にかサッポロビールのHPから、GさんのHPに移って掲示板に書き込むようになりました。

GさんのHPは、いろいろな話題が登場しましたがメインはやっぱりコンサドーレでした。シーズンが開幕すると、余計にコンサの話題で掲示板が盛り上がっていきました。

そして私も、少しずつコンサの話題の中に、入っていくようになったのです。もちろんコンサの話題の核にはいることはできませんので、周辺部をうろうろしていただけでした。それでも、少しずつ少しずつコンサのことが分かるようになってきました。

コンサのことがだんだん分かるようになってくると同時に、「試合を見たい」という気持がわいてきました。そんなことを、掲示板に書き込んだりしました。

そんな時掲示板で知り合ったKさんから、「一緒に見ませんか?」というお誘いを受けました。Kさんは、学生時代を北海道で過ごし、その時は諫早の歯科病院で働いていました。掲示板でのやりとりから、アドレスを交換するようになりました。そして、

2001年7月14日 対アビスパ福岡戦(博多の森)

これをKさんと一緒に見ることになりました。

今では考えもしないことですが、当日飛行機で博多入りしました(!)空港でKさんと初対面。私よりも若いのに安心感を与えてくれる人でした。Kさんと一緒に空港前からバスに乗り、博多の森へ・・・

初めての博多の森、初めてのスタジアム、私は修学旅行で初めて都会を訪れた小学生のような気持でした。なにもかもが新鮮で、なにもかもが珍しかったです。

試合開始が19時1分。その前に夕立があり、スタジアムはほんのりとした爽やかさと草いきれに包まれていました。アウェイ側ゴール裏に座りました。目の前の芝生がとてもきれいで、中に入って触れたくなりましたがさすがにやめました。

試合開始前にコールリーダーが「中央に集まって応援しよう」というようなことを言っていましたが、Kさんがちょっと移動しただけでしたので私もほんのちょっぴり移動しました。

この試合までの私の両チームについての情報は、全く無に等しいものでした。ウィルだけは知っていたと思います。コンサとアビスパとの因縁や、アビスパを苦手にしていることなど、全く知りませんでした。多分Kさんも、内心では私の無知識さに呆れていたのではないかと思います。ところが・・・

ビギナーズ・ラック!

2-0で勝ったのです

10年史によると7分と78分にウィルが得点しています。確実に1点は目の前で得点シーンを見ることができたのです。

初めて見たコンサの試合が、勝利!

こんなことがあっていいのか?と思いました。嬉しかったです。感動しました。もう興奮するだけでした。
嬉しさと感動のために、試合後Kさんからの「飲み会」のお誘いを断ってしまうという大変失礼なことをしてしまいました。「試合後は、飲む」という習慣を知らなかったのです。今だったら、自分から誘っていたのにと後悔しています。

Kさんとはその後も、博多の森や鳥栖スタジアムでご一緒させてもらいました。Kさんが大分の方に移られてから、その後やりとりが無くなり残念に思っています。ただ、Kさんが後押しをしてくれたから、コンサの試合を観る気持になったことだけははっきりしています。GさんとKさん、二人のサポーターの存在があったからこそ、私のコンササポとしてのスタートをきることができたと思います。

初観戦が勝利、しかもアビスパを相手の勝利。競技場の雰囲気、選手同士のぶつかり合い、ボールの音、芝の臭い・・・もはや私の心は
「自分とコンサは、つながっている」
そんな思いで占められていったのです。



※ この文章も大円団に近づいてきました。もうすこし、おつきあいく ださい。
よろしくお願いします。

posted by クラシック |06:57 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月21日

EURO2008の奇跡

今日は仕事が休みなので、ユーロのクロアチア×トルコを見ようと、半徹夜の状態で試合開始を待ちました。

城彰二氏とアナウンサーのトークから放送が始まり、ワクワクしながら試合開始を待ちました。

ところが・・・・・

気がついてテレビの画面を見て、ビックリしました。そこには

延長前半12:35 クロアチア0ー0トルコ

えっ?寝てしまったのか!とショックでした。
「延長後半はしっかり見るぞ」と決意を新たに画面に注目しました。

しかし再び画面を見た時に、またビックリ!

延長後半10:00 クロアチア0ー0トルコ

何なんだ、この展開は?と自分のことを棚に上げて「PK戦かな?」と思いつつ、今度こそは試合に注目しました。

そして運命の延長後半12分(13分)?のクロアチアの劇的な先制点。「これで決まった!」と思いました。
しかし、クロアチアには気の毒というのかトルコには運命的というのか、ロスタイム1分でトルコが追いついてしまったのです。トルコにとっては、奇跡的としか言えない同点弾でした。

クロアチアの先制点から、トルコの同点弾まで5分もないのです。これには、私もビックリしました。
結局1-1のままのPK戦で、トルコが勝利しました。
クロアチアの先制点から、PK戦が終わるまでおよそ15分でした。

結局私は、この15分だけをしっかりと見たのです。
これを奇跡といわずして、なにを奇跡というのでしょう!

半徹夜もできなくなった自分の体力を嘆きつつも、「筋書きのないドラマ」に酔ってしまった自分でありました。

posted by クラシック |07:38 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年06月20日

余は如何にしてコンササポとなりし乎~第3章~

Gさんとの出会いがあった2000年、北海道の友達から「クラシック」が送られてきました。宮崎では入手できないクラシックですので、本当に嬉しかったです。

気がつくと6本入りのの包装紙に、「コンサドーレ選手の似顔絵入りクラシック6本セットが当たります」というプレゼントのお知らせがありました。

「クラシックが、また飲めるかもしれない!」ということで、応募してみました。応募方法について記憶がないので、余り当選にあまり期待していなかったと思います。

ところが、当選したのです!応募したことさえ忘れていた私でした。それなのにクラシックが販売されていない宮崎に住んでいる私に、「コンサ選手似顔絵入りクラシック缶」が送られてきたのです。

「やったあ!またクラシックが飲める!」と、大喜びでした。と、こんな具合でビールが飲めることが嬉しかったのです。似顔絵が描いてある選手達のうち、岡田監督だけは分かりました。しかし、後あとはどんな選手の似顔絵があったのか、全く覚えていません。

しかも現在だったら絶対にきちんと保存していたと思うのですが、飲み終わった後の缶を何の意識もせずに捨ててしまったのです。今このことを、ものすごく残念に思っています。自分にとっての「コンサドーレ・お宝グッズ」のベスト3に入るものを捨ててしまったのですから・・・

更に全くコンサドーレを意識していなかった証拠に、この「似顔絵つき缶」が当選したのがいつのことなのか全く記憶にないのです。自分としては、昇格を決めた2000年のお歳暮シーズンかなと都合のいい解釈をしているのですが・・
プレゼントの企画から実現までの期間を考えると、歳末ではちょっと無理な気もするのですが・・・・

クラシックが販売されていない宮崎の私に、「コンサ選手の似顔絵入りクラシック」が当選したことに不思議な感じがしました。これが、似顔絵ではあったものの、コンサの選手との初めての出会いだったのです。

缶は捨ててしまったものの、Gさんとの出会いに続いてのこのプレゼント当選は、私の心の中に「コンサドーレ札幌」の存在を意識づけさせたのでした。

2000年末、私はコンサドーレのJ1昇格の記事を知らず知らずのうちに探して読んでいました。その中で一番印象に残っているのは、「去年はJ1の戦い方をしていたから結果を残せなかった、今年はJ2の戦い方を研究して臨んだから昇格することができた」という、岡田監督の言葉でした。

この言葉は、私に驚きと新鮮さを感じさせました。「J1とJ2では、戦い方が違うのか?」と、それまで日本代表中心だった私のサッカー意識が、変化し始めてきたのです。

そして、じわじわと私の心の中にコンサドーレ札幌への関心が高まっていく中で、運命の2001年を迎えることになったのです。




※ 10日間の空白がありました。私的にいろいろなことが続いたものですからエントリーを控えていました。リーグ最下位までには、何とかして書き終わりたいと思っています。「通りすがりさん」をはじめとして、空白中もアクセスして頂いた皆さん、ありがとうございました。どうにか、エントリーを続ける気持が出てきました。これからもよろしくお願いします。

posted by クラシック |23:36 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月11日

30万アクセス御礼~余は如何にしてコンササポとなりし乎~第2章

交通の便利さを考えて札幌駅の近くに、ホテルを取りました。

荷物を整理して、仮眠を取りました。
そろそろGさんが、来る時刻です。はっきり言って、気が重かったです。
「最初に、断っておけばよかったね・・」「宗教関係だったら、どうする?」
「今さらそんな事、言ったって・・・・」

ホテルのロビーに降りて、すぐに「着きました」とのメールが届きました。

緊張の一瞬でした!

現れた女性は、160センチくらいの普通体型で目のぱっちりした20代後半かと思われる人でした。見た感じがそれ程変わった人ではなかったので、ホッとしました。

食事を誘い、おまけにお店について詳しくないので、Gさんの知っているお店に連れて行ってもらいました。今でもあると思いますが「ライオン」という言葉がつくお店でした。

クラシックを飲みながら、北海道の事、札幌の観光スポット、お薦めの場所などについていろいろと話が弾みました。

悪い人ではないという事は、分かりました。ただどうしても「渡したい物」が、気になってくるのです。

楽しい時間が過ぎ、そろそろお別れしようかと考えた時、Gさんが「これを渡したくって、やってきました」といって、包みを私にくれました。
それほど大きい荷物ではなく、重さもそれ程ありません。
「一体なんだろう?」と思った瞬間、Gさんが「すみません、開けてもらえませんか」と言ったのです。

「なに?この人」「もらったこの場所で、開けろと言うの?」
ちょっぴり「礼儀知らずな人だな!」と、思ってしまいました。

「じゃあ・・」というわけで、包みを開けました。

「鉛筆?消しゴム?缶ペン?・・」「なに、これって?」

Gさんが「私、実はコンサドーレ札幌のサポーターをしています。北海道にわざわざ来られるクラシックさんに、なんとかコンサの事を知ってもらいたくて、こんな物を用意しました」と、話してくれました、

包みのほとんどが、コンサドーレ関係の品物でした。鉛筆、消しゴム、缶ペンペンケース等々、あとちょっぴり北海道のお菓子が入っていました。

お礼を言って、Gさんと別れました。もう2度と会う事はないだろうとこの時点では、思っていました。

ホテルの部屋に戻って、あらためて包みの中の物を出しました。喜んでいいのか?はっきり分かりませんでした。思わぬ物をもらってしまい戸惑ってしまったのです。

「ああいう人って、いるんだ!」
「すごいよね」

食事をした事もあって、Gさんに対しては好感を持ちました。ただ、見知らぬ私たちにコンサドーレのグッズを渡すその気持は、とうてい理解できるものではありませんでした。

「変な人でなくって、よかったね」
「親切な人だよね」

Gさんのことは、北海道旅行中の一つのエピソードとなりました。宮崎に帰ってからも、何回かメールのやりとりが続きました。しかし、コンサドーレの事についてのメールは、私の方からはしませんでした。
今思えば、一見無謀なGさんの行動が、私とコンサドーレ札幌の最初の出会いとなったのです。

ただ、頂いたコンサグッズは、使われる事もなく、表に出る事もなく、袋に入ったままでした。袋からコンサグッズが出てくるまでには、1年以上待たなければならなかったのです。

2000年の夏、Gさんとの出会いは私に余り意識を持たせることなく終わりました。しかし、コンサドーレ札幌は好調に勝ち点を積み重ね、J1昇格を決めたのです。

コンサドーレ札幌のJ1昇格について、そのころの私には何の感想もありませんでした。ただGさんには「昇格、おめでとう」ぐらいのメールは、送ったのではないでしょうか・・・

しかし、私とコンサドーレを近づける出来事がまたしても起こったのです。

しかも「宮崎に住んでいるのに、どうして?」という形で・・

第3章に続く


※ 長い文章になりそうです。簡潔にまとめる事ができなくて申し訳ありません。

>大沢さん
「ブルノス宮崎」というチームは、確かにあります。宮崎地区リーグではなく、西都市地区リーグに所属しているために、情報が入りづらい状態です。今年も活動しているのか、確認できたらまたお知らせします。



posted by クラシック |19:57 | コメント(2) | トラックバック(0)

2008年06月11日

30万アクセス御礼~余は如何にしてコンササポとなりし乎~(第1章)

私は、生まれも育ちも宮崎県です。こんな私のエントリーに、30万件ものアクセスを頂きありがとうございました。私がどうして、縁もゆかりもない北海道の「コンサドーレ札幌」のサポーターとなったのかを知って頂きたいと思いエントリーする事にしました。
選手もオフ期間中ですので、このような極私的なことをエントリーする事をお許しください。

宮崎を離れていたのは、大学浪人中に、博多に1年、2浪目に東京に1年、大学在学中の愛知県の4年、合計6年に過ぎません。自分の人生においては最も有意義な6年間だったのですが、大学の親友に北海道出身者がいたこと以外は、北海道との接点はありません。大学を卒業したら、即宮崎に戻ってきました。

サッカーをやったことは、授業の一環として受けたことがあるだけです。でも、見るのは昔から好きでした。先日亡くなった長沼監督ー岡野俊一郎コーチの元での日本の試合はテレビ放映がある時には、必ず見ていました。
ただ「サッカーが好きだ」というのではなく、ラグビーも駅伝もマラソンもテニスも、「スポーツ中継を見るのが好き」という感じでした。

あるサポーターが「宮崎は、人間をダメにする」と最近エントリーしていました。近年「スポーツアイランド」と標榜しているものの、宮崎県のスポーツのレベルは「旭化成」と一部の部門の一部の団体以外は、低いです。風土がダメにするのか?人間がダメなのか?とにかくこれが悪いというのではなくのんびりとした、人のよい県民性とかが、影響していることだけは確かでしょう。

ですからJリーグが発足しても、遠い世界の出来事を見るようなものでした。
ただテレビ中継で試合を見た時「こいつら、最後まで走っている!」と感心したことをはっきりと覚えています。「コンサドーレ札幌」というチームが、北海道にあることぐらいは知っていたと思いますが、記憶が定かではありません。同じ九州内の「アビスパ福岡」も「サガン鳥栖」もその存在自体も知らなかったくらいですので、コンサドーレ札幌もあるいは・・・

初めて北海道に行ったのは、大学時代の友人の結婚式に呼ばれた時でした。初めての、北海道。観光は余りできませんでしたが、宮崎とは全くことなる風景と食べ物の美味しさに魅了されてしまったのであります。そして空港で飲んだ「サッポロビール・クラシック」は、私のマイフェバリットビールとなったのであります。これが、私のハンドル名を決めるきっかけになりました。

新婚旅行も北海道でした。妻にとっては初めての北海道でしたが、私と同じように北海道が好きになったようでありました。子どもが小学校に入学する前にも、北海道に旅行しました。

2000年夏、家族で2度目の北海道旅行に行くことにしました。「折角北海道に行くからには、地平線が見たい」と、家族の思いが一致しました。そこでサッポロビールのHPに「札幌周辺で、地平線を見ることができる場所を教えて下さい」というコメントを掲載しました。反応は、はっきりいって期待しませんでした。ですが、3名の方からお返事がありました。親切丁寧な返事でした。
その中でも、札幌市在住の女性の方と今は九州在住だが札幌に住んでいたことがある男性とのやりとりが続きました。

女性の方とのやりとりは頻繁に行われ、そのうちHPを通さず直接メールのやりとりをするようになりました。そして北海道に出発する直前、女性(Gさん)から「渡したいものがあるから、札幌での宿泊先を教えてほしい」というメールが届いたのです。

「渡したいものって、何だろう?」「メールのやりとりしかしていない人に、宿泊先を教えていいのだろうか?」等といろいろと心配もしましたし、ちょっぴり悩みました。妻と相談して「女性だし・・」、「渡したいものって、何だろうね・・?」という、全く危機管理の意識がないまま、会ってみる事になったのです。

「コンサドーレ札幌10年史」によれば、200年夏コンサドーレ札幌は岡田監督就任2年目で、J1昇格を目指して大躍進中でした。Gさんと会った日まで、リーグ戦をまだ2敗しかしていなかったのです。しかし、そんな事は全く知りもしないし、関心もありませんでした。

札幌に着いた日の夜にに、Gさんと会う約束をしていました。会う以上は「やっぱり、物をもらうだけでさようなら・・」はないだろうということで、妻と相談して夕食を一緒にする事を決めていました。

はっきりいってGさんに、会う事は不安でした。旅行の一日目に会う事にしておいてよかったとも思いました。不安を抱えたままで、旅行しなくてよかったという気持も少しはありました。

そして、いよいよGさんとの面談の時刻が来たのであります。

Gさんの正体は?!

渡された物とは?!

第2章に続く・・




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