2017年10月12日
『オジいサン』 京極夏彦
天気予報が変わりました。(札幌市厚別区の予報は こちら。) 土曜日の午前中は晴れですが、午後からは小雨、気温も11~12度の予報です。 風はさほどではないようですが、寒さ対策は万全にしないと風邪をひきそうです。 地上波での中継もありますから、サポーターはともかく、一般のお客様の来場はあまり期待できないかもしれませんね。
本の帯には 「益子徳一、七十二歳、独身。定年後の人生を 慎ましく過ごす 独居老人の 大真面目で 可笑しくて 少しだけ せつない日常。」 とあります。 まさしく その通りで、公団住宅で約40年、結婚もせずに ずっと一人で暮らしてきた72歳6ヶ月の老人の どうということのない日常、というか 頭の中を淡々と描いた作品です。 初めはキツイです。 とにかく回りくどくて面倒くさい。何度も読むのを止めたくなりました。 ただ、これは文体が、文章がどうこうとよりも、何をしても要領が悪くて時間がかかり、どうでも良い事までマジメに考えて一人で勝手に混乱し、堂々巡りでオロオロする老人の姿を読みながら、我が身にも思い当たる節があることに気付き、あと10年もすれば自分も仲間入りかと思うと笑い飛ばすこともできず、、やるせない嫌悪感を抱いてしまったからかもしれません。 ずっと一人暮らしの徳一は、自分の生活のスタイルを守り、寄る年波をきちんと受け止め、周囲に迷惑をかけないように静かに暮らします。一人の生活にもすっかり慣れてしまい、家族や友達のいない寂しさを感じる事もありません。 しかし、誰も最後は一人ですが、誰も一人では暮らせません。側に誰かがいる方が温かく楽しいです。 徳一にも徳一の事を気にかけてくれる人はおり、最後に ある人から “家族のようなもの” になってくれるように頼まれます。 ラストで ちょっと救われました。 この作品では、普通の老人小説であれば必ず取り上げられるであろう、病気や死への不安、経済的な問題、高齢者の恋愛や性、欲望に関しては触れられず、余計なものは思い切って削ぎ落しています。 その分、きれい事に終始している側面があることは否めませんが、テーマがシンプルに明確になっており、読んだ後にはちょっと老人にやさしくなれるような気がする、そんな作品でした。
posted by aozora |21:21 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)
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