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2017年03月23日

『落日燃ゆ』  城山三郎 

今朝起きたら窓の外は一面の銀世界。
今日は宮の沢で練習の予定でしたが、さすがに外では無理だったようですね。
まだしばらくは寒い日が続くようですから 怪我には十分気を付けて欲しいものです。

さて、

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43年前、昭和49年に発表された小説で、城山三郎の代表作のひとつです。
第二次世界大戦のA級戦犯として処刑された広田弘毅 (ひろた こうき、1878年2月14日-1948年12月23日) の生涯を、激動の昭和史と重ねながら、広田の性格同様に淡々と抑制した筆致で描いています。
なんで今頃この本? と言われそうですが、初めて読んだ時から強く心に残っている作品で、これまでにも何度か読み返しています。
今回は たまたま古本屋で目に留まって、自宅の本棚にある事は判っていたのですが、買ってしまいました。

第二次世界大戦のA級戦犯とは、極東国際軍事裁判所条例第5条に定義された3つの戦争犯罪、a.平和に対する罪、b.通例の戦争犯罪、c.人道に対する罪 のうち、項目a の 平和に対する罪で訴追された者をいい、項目b、項目c で訴追された者を それぞれB級戦犯、C級戦犯と呼びます。
A級戦犯として逮捕、訴追された者は 100名以上に及びますが、東條英機や近衛文麿のように 早々に自決(自殺)した者もおり、最終的に 東京裁判で絞首刑を宣告されたA級戦犯は7人でした。そのうち 6人は軍人でしたが、ただ1人、広田弘毅だけは文官で、外務官僚、総理大臣、外務大臣を経て、終戦時は重臣という立場にありました。

広田は、総理大臣として、外務大臣として、重臣として、それぞれの立場で戦争を防ぐために必死に和平への道を模索しますが、その度にその努力を水泡に帰すような邪魔が入って叶わず、結局、日中戦争、第二次世界大戦が勃発し、敗戦を迎えます。
しかし、広田は 「高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては喜んで全責任を負うつもりである」 として潔く自分の責任を認め、東京裁判において一切の弁解をせず、それを黙って受け入れたそうです。

もちろん この作品は広田の立場にたってその生涯を描いた小説ですから、これが全て真実だとは思いません。実際、優柔不断で弱腰な人物と評する声もあるようですし、次世代の平和の為に話すべき事はきちんと話し、事実を明らかにする責任の取り方もあったのではないかとも思います。
しかし、自ら計らわず、常に広く情報を集めて次に備え、与えられた立場を静かに受け入れ、その責任をしっかり果たそうとした姿勢。その一方で、妻や家族を思い遣る深い愛情。この作品で描かれる広田の姿には 心を打たれます。 

第二次世界大戦を描いた本は 本当にたくさんありますが、その多くは将校や兵士、一般市民の視点から描かれたもので、政治家の視点から描いたものは少ないように感じます。その意味でも とても面白い作品だと思いました。
広田の同期として 吉田茂も登場しますが、対照的な性格の彼との対比も面白いです。

最近も右だ、左だ、教育勅語だ と喧しい(かまびすしい)訳ですが、様々なイデオロギーや利害関係、思惑を超越した中で 事実を明らかにするのは 難しいですね。
何事も関わった人の数だけ異なる視点と真実があり、目の前にある森友学園の問題さえ真相解明は難しいのですから、歴史上の問題となると不可能と言わざるを得ないのかもしれません。


ところで、
僕の本棚に残してあったのは、昭和61年11月発行の新潮文庫で、今回買ったのは平成24年8月発行のものです。
好きな本、古本屋で手に入りにくい本は本棚に残してあるのですが、古くなると紙は変色し、文字が小さくて読みにくいものも少なくなく、結局 新しいものを買って読むことになります。本も 新聞も 以前から比べると字は大きく、読みやすくなっていますものね。勿体ないですが、仕方ないです。
因みに、
昭和61年のは たぶん8ptで、一頁41字×18行、本文の最終頁は 378頁、定価 440円。
平成24年のは たぶん9pt、一頁38字×16行、同 446頁、同 670円、古本屋で 108円でした。

posted by aozora |20:45 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

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