2015年06月20日
本質
昨今の国会、そこから派生している色々な事象を見るにつけ、悲しい思いに至るのである。 まずもって憤り、呆れ、哀れ、そしてやりきれなくなる。 ことの是非以前に、まずはこの状況が「恥ずかしい」。 自らの意思を押し通すためであれば、他からどう見られようが、屁理屈をかましたり、以前と180度違う意見になろうとも釈明もせず、お構いなしに突き進むことが使命になってしまっている。 自分の意に反することは、考えもせず、なかったことにすることは平気で、ちょっとでも思いを寄せることもできないのだとすれば、こんなやりきれないことはない。 私としては、与えられたものをただ真に受けることなどせずに、常に広い視野の中での見聞に心がけることなのだろうと。 安易に流されていくのは容易いけれども、それだけでは魅力など生まれはしない。
何度でも書くことではあるが、私はTVショッピング・ラジオショッピングのたぐいが大嫌いである。 必要もないものを、さもうるさく宣伝して押しつけがましく来られるのはたまらない。 まあ彼らにしてみれば、人間の心理につけ込むのが得意で、ということなのだろうがね。 いらないものはいらない。 必要なら自分で考えて選択するだけ。 まあこの先を考えた場合に、たくさんのものがあると、万が一の時に残された関係者に迷惑がかかる、という現実も個人的には背景にあるのだけれどもね。
単純に選択権は我々にあるのだと。 自分を見失わないことでしか、本質にはたどり着けないだけではありますよ。
posted by akira37 |05:43 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)