2015年05月21日
国立競技場の思い出
いやあ驚いたというか、呆れたというか。 新しく建設される国立競技場に屋根が間に合わないのだとか、追加負担を東京都に求めたとか。 個人的には2020年の東京オリンピック開催については、反対の立場で変わっていないのだが、それを抜きにしても、あの完成予想図を見た時から怪しさいっぱいだったからな。 少なくとも、あの場所にそぐわない。 そして何が何でも建て直しをしなければならない、という発想自体が貧困だとも考えるのだけれども、完全に壊してしまって、修復不能になってしまった段階でこんなことを言いだすのも卑怯だしね。 はあ、まったくやりきれませんよ。
とまあ、ぼやくことが趣旨ではなくて。 これにかこつけて、自身の記憶を辿ろうとしたことではあるのだな。 国立競技場へは都合4回、すべてサッカー観戦でのみ入場したのであるが、いずれも「初」が絡むことになったのである。 1回目-2000年11月のナビスコ杯決勝 自身初となる、道外でのサッカー観戦の最初。川崎F対鹿島の試合は2-0で鹿島の勝利だったのだが、当時のチェアマン(現バスケットボール協会会長)の感想が得点以上の差があったというのが印象的で。 当時は満員にもならず、2万7千人と寂しい観衆。川崎のゴール裏がしょぼかったりとか、開幕当時川崎に所属していた師匠鈴木隆行が決勝では相手鹿島にいたとか、というのが話題とかの試合でもありましたなあ。 2回目-2006年3月のJ2開幕戦「東京V対徳島」 コンサの開幕はアウエイ鳥栖だったのだが、飛行機の運賃の関係とかで行かなかったのだっけ? 東京Vは当時1969がついていて、初のJ2降格、一方徳島はJFLからの参入で、今年の「大宮対金沢」と同じ構図の目玉対戦ではあったのだろう。 試合は4-1で東京Vの圧勝ではあったのだが、個人的にはこれはJ1復帰は厳しいと思って見た記憶があり、実際その後うちと一緒に上がって落ちた2008年を除いて、J2暮らしが長くなるとまでは予見できなかった。 そうそう国立使用としては初の「J2」のゲームでもあったのだな。 3回目-2011年10月のJ2「横浜FC対札幌」 コンサ絡みでは唯一である。承知の通り2-0の快勝で、上原のクロスが上がった瞬間に決まると思ったことも懐かしい思い出ではある。 コンサの国立での試合はこれが4度目であったのだが、過去3回はいずれも敗戦で、結局唯一の勝利になったことになる。 4回目-2013年12月のJ1昇格プレイオフの決勝 まあ記憶に新しいところだが、知っての通り京都対徳島の結果が徳島の勝利で初のJ1昇格になったわけだ。 スコアは2-0だったのだが、私人は京都側のゴール裏近くにいたのだが、2失点目の時の落胆ぶりは忘れられない光景でもある。 現在今年ともにJ2でやっている中で、下位に低迷しているのを見ると、わずか2年も経っていないのにその差に身震いがする思いでもあるのだのだな。
今日の話は明日以降に続くふりでもある。 次回の遠征先、徳島の試合を見るのがこの時以来ということもあってではあるのだな。
posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)