2015年02月14日
ターニングポイント
モヤモヤした気持ちが続く中で、思い起こしたようなキーフレーズなのである。 いろいろな分野で感じていることを、まとめる、あるいは結びつけることばではあろうかと。
昨夜は改修前最後のkitaraであった。 kitaraは今月16日から4か月間閉館となるわけで。 私自身の参加としては昨夜がそうであって。 札響の定期。音楽監督退任前、最後となる公演(まあ4月以降は名誉職となって、演奏回数が減ることがあっても無縁ではないのだが)である。 ここのところ札響は団員の訃報が続き、先週にはコンマスの一人の退団が正式発表があったのだが、プログラム冊子を見て、あっと言わずにいられない事態となったのだな。 いや矢は意外な方向から放たれて。 札響はkitara休館中の定期演奏会については、他の場所でやることを選択していないから、こちらも4か月間ない。 従ってその間にある人事については、先に出す必要があったのではあるのだが、先週の発表に続いて更に2人退団の追加情報があって。 さすがに参った。 勿論コンマス含めて3人とも定年での退団ではないから、その先の情報についてはないのだけれどもね(昨年3月のコントラバス首席奏者の場合は、プログラム上で移籍先を発表してしまったのは、当然むしろ例外で)。 いやあ大きいでしょう。 昨年から知った顔が5人もいなくなるというのは。 ふうむ、と唸るよりなかった次第。
昨夜の演奏会は、3年越しのプログラム。シベリウスの交響曲チクルスの最終回。今年が生誕150年であることに合わせたプログラムで、5-7番の演奏ということで。 正直演奏される機会が少ないわけで、札響としての演奏回数も、過去は順番に4回、1回、3回という少なさ。 6番は音楽監督自身が初の演奏、前回が1997年4月の室蘭とある。 当時私の勤務地が室蘭であったから聴きに行っている可能性があるだろうと、暦を調べてみれば土曜日。 間違いない。行っている。 ということは全演奏を聴いていることになるのか。 ついでにいえば、退任される音楽監督が最初に札響を降ったのが1971年のことであるのだが、その場所が室蘭だったことは、出身者としては記憶にして良いことなのだろう。
タイトルの由来には、何も札響のこれからだけに由来しているのではない。 自身の仕事の中でも、恐らく起こるであろうこともあるし。 いやそれ以上に、世の中の動きの怪しい動きの部分は、あとで振り返ればそうだった、と言われる可能性がある。 せめて悪い方向に行かないように注視したいと思うこのごろではあるのだな。
posted by akira37 |05:42 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)