2015年02月03日
その軽さの先に
ここのところ気持ちに整理がつかぬことが多くあって、ことばに苦労している部分が多い。 軽々に向き合えないものだから、想像以上に疲労するのではあるのだな。
普段の生活の中で、どういうときに苛立つかといえば、よく考えもせずに発言される内容が空疎であるときだろう。 軽すぎる受け止め方がでてしまえば、もはやそれ以上に関わる気力がおきない。 いい歳をした大人が、条件反射的に単純になってしまう様を見るのはあまりに褒められたものではないだろう。
おぞましい事件が起きた時に、どういう加減か執拗に長時間追うことがマスコミにはある。 時にそれが本筋と関係なさそうな部分にまで波及してみたり、まして親類縁者にまで土足で平気で入り込み様を見てしまうと、ひたすら悲しくなる。 彼らはそれを視聴者が要求するから、とうそぶく。 違うだろう、お前らの単なる自己満足、興味本位でしかないだろう。
悲しい結果に至った今回の件を見るにつけ、ずっと抱いていたのが、言葉の軽さでしかない。 コメントが常に同じなようでしかない、というのは、少なくとも考えた末のようには見えない。 まったくそこに本気度があるのか、極めて疑わしい。 勇ましい表現だけでは伝わらないのですよ。 そこにどれだけの覚悟があったのか。 自己陶酔が、これほど怖いと感じたことはないでしょうね。
目先の利益にしかのめり込まない姿くらい醜いものはない。 自分の利益のためだけに、我々を巻き込まないでほしい。 大局的にものを見られないトップは必要ない。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)