2012年05月09日
そこに必然性はあるのか
完全な見方をしないにしても、新聞のTV欄のチェックは怠らない。 過去にも何度か書いてはきたけれども、今朝の視点は別なところで。 いや所謂ゴールデンタイムでの公の試合放送が多くなったな、と。それもフランチャイズでなくビジターの試合が。
昨今は所謂「改編期」以外でもレギュラー枠を拡大する形も多くなって、まあなし崩し的な印象も多いのではあるが、まあまあまずもって見るに耐えないものが多くある。 実際に見もせずに断定する機会も多いのは、番組欄に出てくる表現でお腹いっぱいになることで(同様のケースは週刊誌の広告のあり方にも言えるのだが)あり、たまさか見ささってしまえばゲンナリ以外の感想しか出てこない。 そこには最早必然性はなく、時間と金の無駄遣いしかないのだな。 そんな事情があるのかどうか不明だが、前述のビジター試合の放送というのもの、そんな貧困な事情が反映されているのかもしれない。
まあ通常のニュース番組枠でも、そのやり口はどうなのかということは多々あるわけで。 大きな事故や事件が起きたときに、特に被害者のプライベートなことにまで深入りする必要性は感じないのだが。 何度も書いて恐縮だけれども、そっとしておくことが出来ない姿勢は悲しい。 そこに芸能人の熱愛・恋愛・破局・結婚・離婚・出産なんてものが出てくれば、いったい何を目的に生きているのかも怪しいではないかと。
もっと向けるべきは他の部分ではないかとも考えるわけで。 一番身近な部分は政治に関する報道にもあって。 跋扈してるのは、やれ審議拒否だ、解散だ、といったようなことで。 それは見方を変えれば「仕事をしてません」ということでもあるはずなのに、ただ垂れ流している。 何もしていない間にも多くの税金が消費されてしまっているわけで。そんな視点での報道しかない。 何か虚しい気分にしかならないのよね。
そして大学での急性アルコール中毒、というのが道内での大きなニュースであるわけだが、ただただやりきれないだけである。
posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)