コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年10月23日

見ているだけなのか、見ようとしているのか

昨日のエントリーにコメントが付いて、さてと考えて朝を迎えているのではあります。

札幌宅には、据え置きだけで3台のTVがある。それと別にポータブルタイプと、携帯でのワンセグもあるから、その気になれば5台同時に視聴することは可能なわけだが、さすがにそこまでしたことはないけれども。

まあ据え置きタイプが3台同時稼動していることは珍しくないけど、実際にちゃんと見ているはずはない。

リアルタイムでは何度か書いているように音を出しているケースの方が圧倒的に少ない。
勿論「見ない」という選択肢はあるのだが、流れをつかみたい意思があるから、任せたままにいているケースがほとんどなのだが。

昨日の最初のコメントにあった件、確かに見なければいいわけだが、こうした事情、見ているというよりは見かけてしまった、の方が正しい。さすがに3度も同じところを使われてしまえば、辟易してしまうものである。

何度でも書くけれども、私はあくまでも「街の声」はいらない立場は崩さない。
振り返ってみれば、昔のニュースにそういうものはあったのか?ニュース番組が長時間化していっても、初期の頃にその形を見た記憶はない。いつの頃からこうなってしまったのだろう。

批判する理由は、はっきりしている。
1.編集権はあくまでも局側にあるのだから、いくらでも偏向させることは可能である。
2.一方で市場の意見に転嫁することで、自らの責任を逃す効果がある。

懸命な方には今更のことだろうが、書かれていること、報じられていることを一方的に信仰していくことは危険である。

最後は自分で責任を持てるのか、という部分を失ってはいけない、と根幹に置くことを忘れずにいきたいのだな。

posted by akira37 |05:52 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)