2010年09月11日
歴史的な日に置ける個人的考察
昨夜室蘭に戻ってきたのであるが、今朝早々に札幌に戻るという今回のパターン。約半日の滞在になってしまったのは、当初の予定から大きく変わってしまった部分があったからではあるのだが、その一つに夜のkitaraへ出向く用事がある。 札幌交響楽団による演奏であるのだが、9年前の同じ日にもあって、私は聴きに出向いていた。 当日が火曜日であったことも鮮明である。演奏会は定期であったのだが、翌月に創立40周年記念も兼ねてのイギリス公演を控えており、その壮行の意味合いを含めた内容ではあったのである。 演奏会を終了して帰宅は午後9時半過ぎになって、ニュースを眺めていると、様子がおかしくなっていくのだな。 映画のようだ、といっては語弊があるだろうが、リアルタイムで飛行機がビルに突っ込む様を見たのは初めてであり、勿論事故ではないことくらいは説明を待つまでもなく理解し、そこから始まる悲劇の内容については、今更説明するまでもない。 この時期、この事件に関しては、演奏会とセットで記憶されているから、このような形での表現に、私の場合はなっていくのだな。
歴史的な日、ということでいえば、昨日も日本国内にとっては記憶されるべき日になったとも言えるだろう。 検察に起訴されると、99.5%は有罪になるといわれている中での無罪判決。 予想されていたとはいえ、画期的ではある。 そもそも自分たちの中の狭い範疇での身勝手な論理。勝手なストーリーを作り上げ、自らの保身と出世のためであれば、罪のない人間を罪人に仕立て上げることに何とも思わない人の心もあるとは言えない奴らのすることには、非難するよりない。 でっち上げで拘束された身にしてみれば、たまったものではないのだから、無罪判決だけで手放しで喜べることではないのだが。 夜になってマスゴミが手のひら返しで検察批判していたのであるが、別の事件では思考停止で絶賛していた事実を忘れてはならない。 結局彼らはセンセーショナルだけで生きているかのようなものである。 決して鵜呑みにしてはならないのである。
posted by akira37 |04:35 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)