コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年05月21日

何故そうなるのかを抜きに騒がれてもなあ

これでは何のことか意味不明すぎるか。

仕事柄ワイシャツを着る機会が多いわけである。
当然に仕事着であるから、まめにクリーニングは欠かさない。
しかし当然に消耗するから、相当数用意しておかないといけないのだが、安物を買うという意識はない。

何かまどろっこしいなあ、という意見は確かに。

で最近結構助けられたのがデパートの閉店セールであって。
以前アウエイのセレッソ戦を見に行った際、心斎橋の大丸の閉店セールに偶然近くを通ったものだから、調達したし。
最近では札幌西武や室蘭丸井今井でも同様な行為をしていましたから、現状ではしばらく潤沢な在庫を持っている状態ではある。

一方で、こういうことがないと改めてデパートを覗くことなどないということでもあって。
普段の買い物では、少なくとも目的としていく機会は限られる。

で実際のところ、閉店したから困っているかというとそうではない。


でようやく本題だが、そうしたことがニュースが出るたびに私の嫌いな「街の声」が出てくるのだな。
それを見るたびに嫌な気分になる。
閉店する、ということは売り上げが減少しているからなのであって、普段から買い物していればそうはならない。
それをさも他人事のように感傷的になったところで、単なる無責任でしかない。
むしろそれに乗じて目立っているだけではないのか、というくらいにしか「街の声」には感じない。


同様のことが趣味の一つである鉄道分野でもある。

最近は寝台車の廃止を中心として、列車の引退がらみで異常に群がる人々が報じられるのだが、私はそれを苦々しく見るのだな。
列車の廃止は、乗車率が低いことに起因することが原則なのだから、無くなるからといって騒いでしまうのはどうなんだろうと見てしまうのだ。

むしろ廃止にかかわる場合は、普段から利用していたならばひっそりと見送る方が筋だと思うのだがどうだろう。
普段から関わりがないのであれば、遠くから偲ぶだけでいいのではないのか。

さも普段から関わりがあったかような言動は、少なくとも「街の声」的な取り上げ方で出てくるのは筋が違う気がしてならない。


何を朝から力んでいるのだ、という部分もあるであろう。

普段はさして関心がないのに、閉店とか廃止だとなると盛り上がる傾向は、実際のところ大変失礼なことではないのかと。
単純に騒いでおしまいでなく、その後に心配りができないのであれば、止めて欲しいものである。

posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)