コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年05月20日

人の不幸を喜ぶ世界

昨今のニュースは、眺めているだけでも気分が悪くなることが多い。

政治の世界については、事実だけを伝えればいいものを、勝手な憶測をつけてミスリードしている姿については、何度も警鐘を鳴らす如く書き散らしているが、一向に改善される雰囲気は感じられない。

それ以上にどうかと感じるのが、毎日のように発生している近親間での殺人のニュースで。
そう親が子を、子が親を殺す類の話は、聞いている分にも気持ちがいいものではないが、するにしても執拗な詳細は必要がないものと考えるけど、どうであろうか。
その背景を詳細に知ったところで、何か自分の生き方にプラスになるとでもいうのだろうか。
別段知らなくても困らないことで時間を割くくらいなら、他にもっといっぱいあるであろう問題にかかってほしいものだが、そうはしないのだな。

関係ないだろう、といえば芸能界ニュースもそうなのであって。
職業としてどうか、という表現があろうが、少なくとも「芸能レポーター」なるものは、正直金を貰ってでもやりたい職種ではないのだが、やっていることといえば、結局人の不幸を願っているようなものではないのかと。

本来は芸能の中味を伝えるのが本質であるべきなのに、実態は本人自身の芸の資質の追及ではなく、どうでもいい「熱愛」だとか、そこから先の妊娠・結婚(この順番はあえて狙っているが)とか、おおよそ本質とはかけ離れたどうでもいいことであって、挙句は当人にとっては幸せな状態から、いつ離婚するのかと、まるで人の不幸を願っているかのような書きようには、辟易するとしかいいようがないもので。

そういったものが続いているということは、彼らに言わせれば需要があるからだ、ということなのだろうが、私には単純に不快でしかない。

人の不幸な様を見て、自分はまだそれよりはましだから、という比較で幸せを感じるなんて、なんとも寂しいものではないか。
自分の価値は、他人との比較で決めるものでないのに、何でこうなのだろう、と悲しい気分にしかならないのよね。

昨今溢れ出ている醜いとしか言いようのないニュース(本当は「?」付きだろうが)に接する度に、嘆息するよりない気分にかられるのである。

posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)