2018年09月22日
また巡り合うその偶然性に
昨夜はkitaraに出向いて札響の定期演奏会であった。 今月月初にも2つの公演に出向く予定があったのだが、例の地震の影響で延期・中止ということになってしまったものだから、kitara自体へは久しぶりということにもなっていた。
演目の最初が、細川俊夫の「瞑想-3月11日の津波の犠牲者に捧げる-」である。 説明するまでもなく、作曲のきっかけは東日本大震災にあるわけだが、勿論この度の胆振東部地震を受けて入ったわけではなく、昨年のうちからやることは決まっていたのではある。 そしてメインがフォーレの「レクイエム」で。 こうなると今回のためにあったような偶然性を感じられずにはいられなくなるのだな。 演奏会プログラムには、今回の指揮をする首席指揮者バーメルト氏が地震に触れてのメッセージがあったのだが、演奏会冒頭でも同様にプレトークをする珍しい状況になっていたのではある。 今週の疲労度合いからすれば、途中で沈んでもおかしくない可能性はあったのだが、しっかりと聴くことができたのは、その内容故ではあったのだろう。
そして7年半前のことを思い出す。 2011年4月の定期演奏会は当時首席客演指揮者であったエリシュカ氏の担当であったのだが、この時は大震災を受けて多くの海外アーティストが来日を中止しており、当然に来られるのかという懸念はあった。 しかしエリシュカ氏はむしろこの時だからこそと演奏会に臨んだのである。 演目はドヴォルジャークの「サターバト・マーテル」。作曲者の愛児の死を悲しんで作曲されたものではあるのだが、勿論このときも前年のうちに決まっていたものだから、たまさかであろうがタイミングがあれで驚いたものであった。
今回もまた地震のあとの演奏会の演目が7年半前に共通するような偶然性に遭遇して、そこそこの感慨もあったのではある。 しかし決してしんみりするということではなく、心を浄化するには今の自分にとって有意義であったと言えるのであろう。
posted by akira37 |05:33 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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