2017年05月23日
現実を直視すること
とまあ昨今のあれこれを見て、そう思うところを呟いたのが今朝のタイトルではあります。
至近でいえば、とある問題に対する策を問うたところの回答が具体的でなく。 いや観念的であれば済むような状況ではないのに。 今更に具体的方法を指示しないといけないのかと思えば、情けなくもあるのだが。 一見努力しているように見えても、方向性が違えてしまえば無駄でしかないし、まして理解など得られやしないのよ。 それを独りよがりでやっているのであれば、判らないままでしかなくて。 何とかせえよ、いい歳なんだから、とぼやくしかないのが寂しい。
一方で国内で起こっていることに目を向ければ、まず出てくるのが「恥ずかしい」というキーワードになってしまうのが「恥ずかしい」わけで。 こちらも多く見られるのが、勝手な解釈に始まる別次元の話で。 いや判っていてやってしまっているのかは怪しいのだけれども、 どうにも現実にあることを、自分の都合の良いようにしか解釈できない。 あるいは意に反すればとにかく無理筋でも反論すればいいのだろうという態度ってどうなのかと。
もっと真剣になるべきことから目を背けようとするのが、あの慶事の唐突な発表にもあるわけだが。 未だ公式でもないのに、連日大騒ぎって何?でしかない。 当事者にとっては、単なるはた迷惑だなんて発想はないんだろうなと思えば、劣化・みっともないでしかない。
その先のことも考えずに、今だけ自分だけ良ければ事足りるということが横行しているのをのさばらしていていいのかということで。 騙されてはいけない。 自分の頭で考えて判断していかないと、あとで泣きを見るぞ。
ああ嫌だ。 またこんなことばかりはやりきれない。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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