2011年10月12日

【ザ・インタビューズ移植】日本ハムファイターズってどういう存在ですか?

【Q.あきっくさんにとって、日本ハムファイターズってどういう存在ですか? やっぱり複雑な思いがあるコンササポは多いんでしょうか? 】

福住駅
(試合の日以外は平等にして欲しいよねー)


ぶっちゃけちゃうと、私にとっては


「好感」か「好感じゃない」かでいうと後者ですね(爆)。ファイターズが勝ったニュースを聞いても嬉しくない。むしろ負けたニュースを見ると「にやり。」としてしまう感じです。
でもファイターズが勝ったのか負けたのか自分から調べることはありませんし、実は現在の成績がどうなっているのかもわかっていません。というか、プロ野球のリーグ戦?の大会レギュレーション自体をわかってないのです。昔とはずいぶん変わっているんでしょ?セ・リーグのチームとパ・リーグのチームが公式戦で対戦してみたり。プレーオフもやってるみたいだし。CS、CS、って言っててコンサのことじゃなさそうだし何のこと??と不思議だったけど、結局今でも何の略かわかってない。チャンピオンシップ?チャレンジシリーズ?チャンピオンシリーズ?チャンピオンって言っても日本シリーズとは違うんだよね?とか。何位に入ればどうとか、プレーオフの仕組みも知ろうとしていません。
これって無関心なのか無意識に意識してんのか自分でもわかりませんけどね(笑)。

このように今はさっぱりプロ野球に関心がなくなった私ですが、これでも昔は巨人ファンだった時期がありました。王長島の時代は知りませんけど、クロマティが4番で、槙原や斉藤がエースでキャッチャーが山倉で抑えに鹿取がいたり、コツコツ打つ篠塚が好きだったり、の時期です。こうして名前を挙げてみてももうかなり忘れてしまっていて愕然としてますが、太洋にいた屋敷は印象的な選手だったなあ。高木豊も同じ時期でしたっけ?
スタジアムに行ったことはなかったけど、毎日テレビにかじりついて一喜一憂してました。
ちなみに、野球中継を見ていた頃でも、当時の私にとってパ・リーグは未知の世界でした。まだうら若き乙女のころ、一度札幌市内のホテルで胸にニッポンハムってロゴのついた野球ユニフォームを着た男の人たちに混じってエレベーターに乗ったことがありました(遠慮して1台待つのが妥当だったんだろうか?w)。でもまさかプロ野球選手とは思わず、何か企業対抗の野球大会でもやったのかな、じろじろ見ないでよおじさんたち・・・くらいに思ってて何の反応もしませんでしたもん。今思うと申し訳なかった(笑)。

そのころからコンサができるまでまだ少し間が空いているはずで、10年くらいあります?
その後巨人やセ・リーグの記憶がてんでないのはどういう理由か定かじゃないですけど、多分自分の生活が忙しくなって、野球中継見ている暇がなくなったんだろうと思います。

コンサができたのも、日本ハムが札幌に移転したのも、私が北海道を離れてからのことでした。コンサができたのを知っても、最初は特になんとも思いませんでした。元々サッカーに関心があったわけではないですし。
コンサを応援するようになったのは、福岡に転勤して西日本の異文化の中で郷愁を感じたのがきっかけです。当時もし札幌に日本ハムがあれば、私はきっとファイターズファンになっていたと思います。ファイターズファンになっていた場合、今ほどコンサほどにはまっていたかどうかは不明ですが。コンサにここまではまったのは、北海道のチームであること以外にサッカー自体の面白さにはまった部分も大きいだろうと思ってますので。ユースもあるし。

こうして長々と何を言いたいかというと、今の日本ハムに対する感情を吐露する前に、前提として私のプロ野球チームに対するスタンスというか背景を説明しておいた方がいいかなと思ったわけでして。長ったらしくてすみません。
このようなわけで私は、コンサとのことがなければ、特に日本ハムに含むところはないのです。特に好きでも嫌いでもないチームでしたから。今の私はコンサで手一杯で日本ハムまで応援する余裕も関心ももてないけど、それでも北海道の人たちが日本ハムを応援して、よかったねー。って心からニコニコしていられたと思います。コンサとのことがなければ。


で、「コンサとのこと」とは何かというと。
コンサをこよなく愛し、コンサの発展を願っているサポの立場で日本ハムを見るとき、私は日本ハムに対して穏やかな心情ではいられませんでした。
大きかったのはマスコミの扱いだと思います。それまで道スポはコンサの練習情報や小ネタを毎日掲載してくれていたので、Webに載らない記事も読みたくて道スポを郵送購読していた時期もありました。でも日本ハムが札幌に移転する前年のシーズン前のキャンプから、際立って日本ハムの記事がでかでかと紙面のほとんどを占めるようになり、明らかに他の記事と違うようになりました。まだ移転してきてもいないのに。まだ東京のチームなのに。そんなに特別扱いするわけ??
コンサとは明らかに差を付けられた特別扱いが悔しくて、紙面を見たら腹が立つようになったので郵送購読は止めてしまいました。
私は道外に住んでいるので、自分から見ようとしなければ日本ハムの情報に接することはありませんが、札幌在住のサポはそういうわけにはいかなかったようですね。否応なく情報の洪水のように新聞でもテレビでも日本ハムの話題が大量に溢れてくる中に身を置く事態となったようです。あの道スポを見たときの忌々しい悔しさを思い出すと、日々ああいう思いにさらされている道内在住の同志に同情を禁じ得ません。妬けたり嫉ましかったりすると思うよ、きっと。
私がコンサの試合のためにほんの少し札幌に出入りするだけでも、コンサと日ハムの扱いにかなりの「格差」を感じることがあります。たとえばJR北海道はコンサのありがたいスポンサー様ですが、コンサの試合会場で流れるJR北海道の広告は平気で日ハムの選手や監督が出演するもの(コンサはない)や、全道各地からの日ハム応援ツアーのものだったりします(コンサのコの字もなし)。札幌ドームの最寄り駅である地下鉄福住駅は、コンコースにコンサ応援の飾り付けをしてくれますが、それはコンサの試合がある日だけ。それ以外の日は日ハムの試合があってもなくても通常モード・デフォルトで日ハム飾り付けバージョンです。ひどいときにはコンサの試合が終わって少しのんびりしてから福住駅に着くと、駅員さんがコンサの応援幕をはずし日ハムのものにつけ替えている最中だったりします。いいじゃん!!そんなに早く外さなくたって!!

しかも日本ハムは、移転当初からマスコミの援護を受けただけでなく、新庄というスター選手で話題をさらったり、好成績をあげて勝って喜ぶ楽しさでファンを引きつけたりできているようでした。運だけではないでしょうが、運も味方についている気がして悔しかったです。ドラフトでも強運で有望選手を引き当てたりしてたんでしょう?ハンカチ王子以前にも。詳しくは知らないけど。

ええ、嫉妬です。うらやましさと僻みが混じったどす黒い感情です。
それはいわば新潟に対する感情(詳しくはこちらをどうぞ→ http://www.consadole.net/akik/article/923 )と似ているかもしれません。
彼我の差が開いてくると、次第に諦めの境地になりましたけれど。これも新潟に対するのと同じですね(笑)。

でも、こういうどす黒い感情は実家に帰ったときには極力出さないようにしています。うちの両親はシーズンチケットでドームの試合も厚別の試合も足を運び、室蘭は寒い時期には行かないこともあるけれど函館には毎年行くし、年に一度はアウェイの試合にも行きたいねえという高齢者夫婦のコンササポなのですが、日ハムが移転してきてしばらく経ったころから日ハムも好きになったみたいでした。昔私と一緒に巨人戦の中継を見て熱心に巨人を応援していた母も、とにかく巨人が負けるのが嬉しくて巨人の対戦相手ばかりを応援していたアンチ巨人の父も、今では日本ハムの中継を熱心に見て、日本ハムを応援しています。スタジアムに行ったことがあるのかどうかは知らないけれど。
だから私は実家では、好きな人たちが好きなものをわざわざ嫌いとは言いたくないと思って、日本ハムに好意的な態度を取るよう努めています。一緒に中継を見ることはないですけどね。わかんないし見てもつまんないから。

他のコンササポ全体の傾向などは(あるのか?)わかりませんが、私自身の気持ちでいえばこういうところです。こんなところでよろしいでしょうか。
あー、ぶっちゃけちゃった。(^_^;)

2011-10-12 07:08:23 

posted by あきっく |07:08 | ザ・インタビューズ移植 | コメント(0) | トラックバック(0)

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