2013年06月09日

カムバックサーモン第2号 ~工藤光輝くん~

6/4(火)のお昼ころ、スポーツ紙のネット記事が一斉に「J2札幌は4日、阪南大のFW工藤光輝(21)と仮契約を結んだと発表した。」と報じました。
わーーー!!ミツ!
今年3月にコンサに練習参加していたときのようすはしまふく寮通信でも見ていましたから(→こことか、こことか)、ミツもコンサに帰ってくる可能性が高そうだなと楽しみにはしていたのですが。決まるとしてももう少し先だろうと思っていたので、いきなりの嬉しいニュースにびっくりどっきり嬉しさ満載の気分になりました。
まだHFCからの正式発表はありませんが、ミツの所属する阪南大学が6/7(金)に加入内定会見を行うとのプレスリリースを出していますから、これはもう間違いないことでしょう。この内定会見に合わせてコンサでは公式発表するのかな。

・・・とか言っているうちにすでに6/7は過ぎ(汗)、オフィシャルで正式に発表がありました。
工藤 光輝 選手(阪南大学/コンサドーレ札幌ユース・U-18出身) 2014年シーズン 新加入内定のお知らせ
赤黒のユニを着たミツが満面の笑顔で写真におさまり、そしてまたコメントが泣かせるじゃありませんか。(*´д`*)

◇工藤光輝選手のコメント
『自分を育ててくれたコンサドーレ札幌が、本当に好きです。それが、来季加入を決めた一番の理由です。
そのチームのために、自分に何が出来るかを考えながらプレーし、サポーターの皆さんに愛される選手となれるよう頑張りますので、温かいご声援をお願いします。』


大学に行ってからのミツの輝かしい実績はご承知の方も多いでしょう。
◆2012総理大臣杯 ←総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントは、各地域のトーナメント制予選を勝ち抜いた強豪大学サッカー部によるトーナメント制全国大会です。毎年夏に行われます。今年の大会は現在地域ごとの予選の真っ最中。
 阪南大学は去年この大会でみごと優勝し、ミツは大会得点王に輝きました。
◆2012インカレ ←全日本大学サッカー選手権大会は各地域の学生リーグで好成績をあげた大学が出場する全国大会です。毎年12月から1月にかけて行われます。
 阪南大学は去年準決勝での敗退でしたが、ミツは大会得点王に輝きました。
◆デンソーチャレンジ ←全国をいくつかの地域に分けて、地域ごとの選抜選手による対抗戦の大会。毎年シーズン初めの3月ころに行われ、新学年チームの主力となるべく有力選手の見本市的な大会です。
 2013年3月に行われた今年の大会には、北海道・東北選抜、関東選抜A、関東選抜B、東海・北信越選抜、関西選抜、中国・四国選抜、九州選抜、全日本大学選抜の8チームが出場しました。ミツは全日本大学選抜には選出されず、関西選抜で出場したのですが、優勝したのは関西選抜! ミツはベストイレブンだけでなく最優秀選手(MVP)に選ばれました。

こんな実績をひっさげてコンサに戻ってきてくれるのは、高校時代の彼を見ていた者としては胸が熱くなるばかりです。
というわけで、工藤光輝ってどんな選手?という方へ、高校時代のミツのご紹介です。


工藤 光輝(くどう みつてる)
1981年8月23日生まれ
厚真FCキッカーズ(厚真中央小学校)→ あつまスポーツクラブU-15 ※現ASC北海道U-15(厚真中学校) →コンサドーレ札幌ユース・U-18(札幌西陵高校)→ 阪南大学(在学中)


ユースの学年では、ヒロ(古田寛幸)と同期になります。
私が初めてミツを見たのは2007年3月25日の流経大付属柏高グラウンドでのことでした。いや、正確には「見た」とは言えないんですけど・・。でも見てはいるので・・。(←どっちだい)
コンサユースは毎年雪で練習グラウンドを使えない時期に何度か遠征合宿をします。フェスティバルと呼ばれる親善大会に参加したり、適宜練習試合を組んだり、そのときによって内容は異なりますけど。2月や3月初めころの遠征はまだ新1年生が帯同していないことが多いけど(中3生は高校受験がありますもんね)、3月下旬の遠征は新1年生も合流してその年の全メンバーが見れたりするので、毎年楽しみにしていました。
ミツが新1年生になった2007年は、コンサユースとしては初めて「イギョラ杯」に参加した年でした。
大会初日となるグループリーグ1日目、大雨にひるみながらもいそいそと会場の流経柏高校へ向かうと、案の定1年生たちも一緒のようで。やったー。
でも午前中の流経柏との試合のときはあまりのどしゃ降りに試合状況さえ見るのがやっとで、1年生たちも試合中はクラブハウスの中で雨宿りしていたらしく。
午後の試合で雨がやむと、ようやくピッチ脇で試合のようすを見ている1年生たちの姿を盗み見ることもできました。
そのときの写真をチェックしてみると。



この中にいた
ミツ、いました。
奥の方に坊主頭が半分見えているのがミツです。

でも見たと言ってもこの程度だし、このときは当然顔も名前もプレーもわからない状態だし(爆)、これを「見た」というのは嘘ですよね(笑)。
このときのイギョラ杯は、グループリーグ、決勝トーナメントと勝ち進み、とうとう優勝までしてしまったんですが。決勝戦を見に行ったときにはヒロ以外の新1年生の姿はありませんでした。1年生たちは2日目以降は分かれてどこか別の大会に参加していたのかなーと思いました。


話はちょっと脇道に逸れますが、当時のコンサユース的時代背景を説明しますと。ミツがコンサユースU-18に入ってきた2007年はしまふく寮ができて3年目の年でした。ユースでは寮生1期生の涼くん(当時新高3)、2期生の怜大と佐藤明生(当時新高2)に加え、ミツたちの代の新1年生が一気に5人入ってきてしまふく寮は大賑わいとなった年でした。
りょうぼのあっこさんが書く「しまふく寮通信」の中に、それまでは時々「涼くん」や「りょうた」「あきお」といったユースメンバーの話も出てきていたけれど、ミツたちの代が増えた3年目になるとユース生の話題はほとんど登場しなくなりました。微妙な年代の高校生たちですから大所帯だけにいろいろ配慮があったのかなあと思います。サポにとってはちと寂しいことでしたが。
でもほら。
しまふく寮通信の本
2007年8月に刊行されたこの本「しまふく寮通信 コンサドーレ札幌寮日記」がお手元にある方は、巻頭の「しまふく寮のある1日」という写真ページを開いてみてくださいな。この右ページの一番上の写真の中に坊主頭のミツが写っています。くふふ。
199ページの「しまふく寮の3期生たち」のイラストの中にもミツがちゃんといますよ。怜大と並んでいるわw

ミツたちの学年は、当初中学1年生だけで始まった旭川ユースU-15が年を重ねて初めて卒業生を送り出した年でした。旭川ユースの最初の卒業生の中から3人の選手がU-18に昇格してミツと同期になりました。その兼ね合い?ってことでもないのでしょうが、この年はいつになく選手数が多い学年でもありました。例年は一学年11~12名くらいの選手で構成され、うち半分くらいは札幌U-15から昇格した選手で占められるというのが当時のコンサユースの構成比でしたが、この学年は14名もいて、そのうち札幌U-15からの選手が4名、旭川U-15からの選手が3名、それ以外の7名が外部クラブからという特徴的な学年になりました。何が言いたいかというと最初に顔と名前を覚えるのが大変だったということですw

今とは違ってBチームのリーグ戦がない時代ですから、1年生が公式戦に出場するには上級生の中に食い込む必要があります。この年だとヒロが別格な感じで早いうちから出場していた以外は、1年生が試合に出だしたのは秋ころからだったと思います。ヒロ以外で最初に出場機会を得た1年生は上原拓郎くん。確か。ミツは10/21に宮の沢で行われたJユース予選リーグのヴェルディ戦で途中出場したのが最初だったろうと思います。たぶん。
ですから、ミツのことを「あの子が工藤光輝くん。ミツくん。」とちゃんと覚えたのはコンサの試合じゃなくてその前の北海道国際ユースの試合だったんじゃないかと思います。


北海道国際ユース
2007/8/19 @厚別サブグラウンド
北海道国際ユース5位6位決定戦
U-16北海道代表vsU-16北海道選抜
でのミツ。(当時高1)
手前右側の紫のユニフォーム、北海道代表の11番です。
この試合の観戦記は→こちら
両方のチームにコンサU-18の1年生と早生まれの2年生がごっちゃりいて、そりゃ眼福な試合でした。(*^_^*)
ヒロはこの大会に参加したU-16日本代表の方にいましたから北海道代表にも選抜にもいませんでしたけど。
ガーーーーッッとゴールへ突進していく、くりくり坊主のぎょろっと強い目をした突貫小僧。もう一目で覚えますよね(笑)。みんなから「ミツ!」「ミツ!」としきりに呼ばれているし。

そして9月末に秋田県で行われた国体の北海道代表(サッカー競技・少年の部)でもミツを見ることができました。→北海道vs福岡県の観戦記
このころにはミツはすっかり私の中で「工藤くん」じゃなくて「ミツくん」です。や、もしかするとくんすらつかない「ミツ」だったかも(笑)。

秋の高円宮杯が終わり、Jユースの予選が始まって、少しずつ選手の代替わりが進んでいく時期になると。
10/21宮の沢でのヴェルディユース戦にミツが途中から出場しました。
Jユースで途中出場

11/4アウェイでの草津ユース戦にはミツを含む1年生数人が帯同し、うち2人がスタメン出場し、ミツも途中から出場しました。
このころには私たちもすっかりミツに(一方的に)親しんでおり、仲間うちでこっそりと「平成生まれの昭和の男」とか「海の匂いのする男」とキャッチフレーズをつけていました。だって目力の濃さとか坊主頭とか、なんとなく漁の歌を歌う演歌歌手のような昭和の匂いを感じたんだもの。若いのに。ミツの出身が厚真であることから海を連想したのかもしれない。ほら、私たちの中では厚真といえばプリンスリーグ会場となっている浜厚真(=海の近くのグラウンド)だから。
本人には失礼な話かもしれないけど(ごめん)、外貌と泥臭いプレースタイルでインパクトのある選手だったのです。


2年生になると、ミツは出場機会をぐんと増やしました。春のプリンスリーグのころからほぼ主力になりかけていたんじゃないかしら。
くりくり坊主の突貫小僧のミツは、私たちだけでなく、ユース観戦好きなサポの中でも、とりわけおばさまたちの間でとても人気がありました。
交代でミツが入ると、「きゃー!ミツ~!がんばって~!!」と黄色い黄土色の声援が飛ぶような。むしろ選手のお母さんたちの間からも歓声があがるような(笑)。
それだけ「ミツが入るとなんかワクワクする」選手でした。身体は大きくないけど抜け目ない位置取りをする「すばしっこい系FW」です。くりくり坊主でかわいかったのもあるし(←何度も言う)。
プリンスリーグの会場である浜厚真の野原サッカー場は、天然芝のピッチが3面並んでいてその周囲がネットで囲まれています。観客はネットの内側のピッチ脇のスペースに座って観戦する仕様になっているのですが。あるとき私たちが一番外側のピッチでの試合をネットを背にして座って見ていると。私たちの後ろのネットの外側から、かわいらしいおばあちゃんが「コンサドーレはどっちですか?」と聞いてくるのです。「赤い方ですよ~」と答えると、今度はどっちがどっちに攻めていくのかと聞いてきます。明らかにサッカーに詳しくなさそうなそのおばあちゃまは「孫が試合に出るというので・・」見に来たのだという、ミツのおばあちゃまだったのでした。そうだよねー、ミツのおうち厚真だもんねーと納得しつつ、おばあちゃまと話しながら、とても楽しい観戦になったのでした。

ミツがゴールを決めた試合で印象的だったのはこの試合ですねえ。
2008/7/6 @帯広の森 プリンスリーグ第7節北海高校戦(ミツは当時高2)
プリンスリーグは高円宮杯(U-18)出場を賭け優勝必須な大会なのですが、全部で9試合しかなく、優勝をするには1戦1戦がとても重要でした。この年はコンサU-18と北海高校が開幕から勝ち星を重ね、第7節で全勝同士で対決する状況となりました。優勝するためには絶対に落とせない試合です。相手も同じでしょうけど。
0-0で前半を終え、迎えた後半開始早々にひょんなことから失点し、北海に先制されてしまいます。なんとしてもゴールを挙げなければ・・というところで後半途中から出場し、同点ゴールを挙げたのがミツでした。
これはチームにとっても値千金のゴールでした。
・・・にしても。
ゴールを決めたミツのところへ先輩の3年生たちも同学年の2年生もみんな駆け寄ってきて、寄ってたかって跳び蹴りするわ叩くわの派手な祝福っぷり(笑)。見ている私たちはゴールが決まった嬉しさとゴール決めたのに蹴られまくるミツがおかしくって、もうげらげら笑いっぱなしでした。(ミツの派手な蹴られっぷりは↑の観戦記でご覧ください。)
結局この試合はその後ヒロが壁の足元を抜けるグラウンダーのFKを直接決めて(昨日の愛媛戦でのカズのFKのような)、2-1でコンサの勝利となりました。このときのヒロの喜びっぷりも強烈に印象に残ってる。日頃のヒロとは別人のような雄叫びをあげる喜びっぷりでした。


こんなふうに「愛嬌のあるキャラ」なミツですが。
その後の夏のクラセンU-18ではさらにうふふな出来事がありました。

2008/7/27(日)15:00 @Jヴィレッジピッチ3
adidas CUP 2008 第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会
グループリーグ2試合目の横浜Fマリノスユース戦です。(ミツは当時高2)
初日にヴェルディユースに負けてしまい、この試合は勝たなければ決勝トーナメント進出の望みが消滅してしまう必勝の試合でした。
40分ハーフの試合で、後半37分にミツが値千金の先制ゴールを決め、それを守り切って嬉しい勝利となりました。
当時クラセンの試合会場だったJヴィレッジは天然芝ピッチが何面も並んでいて各グループの試合が並行して行われているのですが、この日コンサの試合会場だったピッチ3(後にadidasピッチと命名される)はネットもなくピッチのすぐ脇で観戦・応援できるとても素晴らしい観戦環境なのです。それゆえこんなことも・・・^m^


ミツゴール
後半残り少ない時間帯にミツが先制ゴールを決める!
天を指さし大喜びのミツ



大喜びしながら
興奮状態のそのまま、わーっとこちらへ向かってきて。
私の右横ではコンサユース応援の草分け宮岸部長さんがタイコを叩いて応援コールをしていたのですが


一目散にこっちに
ミツはどうやら宮岸部長さんのところへ向かってくるようです。


向かって走ってきて
どんどん近寄ってくるからカメラを構えている私もそのままでは対応しきれなくなって


わ!わ!わ!と思っているうちに
私もあひゃあひゃ喜びながらなのでレンズのズームを調節することもできず
しまいには見切れてしまってw


タイコを叩いてコールしていた
宮岸部長に抱きつきます(この直後)
この直後ミツは宮岸部長さんと抱き合わんばかりに喜びあって、叫んで、そしてピッチへ戻っていきました。
こんなことされたらサポはもう壊れますよね。宮岸部長さんのハートはミツに鷲づかみにされたに決まっています(笑)。
(ちなみにミツの後ろから走ってきている3番の選手は怜大です~。ヒロはこの大会の直前に怪我をしてしまったので、試合に出場していません。)


3年生になると、ミツはもうチームの点取り屋、主力FWでした。
この学年は3年生になるときにヒロが実質トップに昇格して抜けたほか、他にも辞めてしまった選手がいたり、全体的に出場機会に恵まれない選手も多くて、実は私にとっては特別な思いがある学年でもあるのです。


3年生のときのプリンス最終節
これは2009/7/19のプリンスリーグ最終節(第9節)の後の記念写真です。
前日の第8節で旭川実業に引き分けて優勝がすでに決定していました。
試合後に表彰式が行われ、大会MVPをコンサのキャプテンの上原拓郎くん(高3)が、大会得点王をミツ(高3)が、アシスト王をコンサの菅原康介くん(高2)が受賞しました。
優勝や個人賞の賞状、トロフィーをもって、3年生に集まってもらい、記念に撮らせてもらいました。ミツは前列向かって右端にいます。
ふだんはトップに帯同していてユースの試合には出ていなかったヒロも、この日は浜厚真まで駆けつけて観戦していました。翌週から始まるクラセンの全国大会にはヒロもユースに合流して試合に出る予定でした(少なくともこの日の時点では。四方さんが選手みんなにそう説明していましたもの。)。その後1週間の間にヒロはトップの試合にベンチ入りすることになり、状況は急変して、結局ヒロはこの年1度もユースの試合に出ることなく終わったのですけれど。
だからこの写真はこの年の3年生が全員集まって写した最後の機会になりました。ヒロは後ろで立っている左から3番目の中腰の人です。その隣に財前さんも写ってますね。四方田監督や他のコーチもこの場にいたのに、なぜ財前コーチだけ一緒に写っているのか今となっては理由は謎です(笑)。

ミツたちの学年が3年生になった年は、1年生に拓馬や奈良くん、貴之、翔太など、早いうちから出場機会を掴んだ1年生がたくさん入ってきた年でした。そのうえ2年生では、三上陽輔、菅原康介の2人が前年からがっちり試合に出ていたほか、ひっきーが卒業した後の正GKの位置に2年生の松原修平がつきました。その分3年生で試合に出られない選手が多かったということです。ただでさえ人数が多い学年なのに。出場している3年生でも、1年生の台頭につれてそれまでのポジションとは違うポジションに移ったりして、例年よりかなり早めに「代替わり」が進められた印象でした。素人が傍から見ているだけですからほんとのところは分かりませんが、素人目からすると、この年の途中から「将来を見据えたチーム作り」に本腰が入れられたように見えました。このときの1年生、拓馬たちの代が3年生になる年、プレミアリーグが始まる年である2年後に照準を合わせているような。
全国リーグで戦えるチーム作りとしてはそれが良かったと思いますし、クラブの方向性としてもそれが正しいと思います。今につながるユースの財産を築けましたし。コンサのサポとしてはもちろんその方針は歓迎でした。
でもそのタイミングに当たった選手たちには気の毒でした。プロ選手を育成するためのチームだし、厳しい競争社会だから仕方ないとは思いつつも、3年生で出られない選手が多く、1、2年生からどんどん選手が起用されていく状況にはきっといろいろ思うところがあったでしょうね。
でもこの学年は、だからこそ?とっても仲がよさそうでした。キャプテン拓郎くんの暖かい素晴らしいキャプテンシーのおかげかもしれません。
あらやだ。ずいぶん話が逸れたうえに感傷的になってしまった。

・・・という感じにミツの最終学年の年が過ぎて
2009/11/3 Jユース予選リーグの草津戦@宮の沢。この年ホームでの最後の試合です。(このころはJユースの予選リーグはホーム&アウェイの2回総当たりで行われていて、降雪を避けて最後の方はアウェイでの連戦だったのです。)

2009ホーム最終戦
ホーム最終戦の後、恒例の3年生の集合写真を撮らせてもらいました。
すでに引退している選手もいて全員は揃っていませんけれど。
ミツは最前列で横になっています。つまりそういうキャラなのです(笑)。


この年トップに昇格したのは(すでに去年実質昇格済みだった)ヒロだけでした。実質昇格ゼロです。しかも他から新卒選手をとることもなかったので、新加入の新人という意味では本当に無風状態の年でしたね。
3年生の終わりころのどこかの試合の帰りだったと思うけれど、ミツのお母さんと帰路で一緒になったことがありました。トップに昇格することはできなかったけれど、プロ選手になりたい気持ちは強いので、阪南大学に進学して4年後にプロ選手になることを目指すと言っているとのことでした。
当時コンサユースから大学を経てプロ選手になった例はありませんでした。
でも前年に、ミツたちの代の1つ上の学年で、コンサのトップに昇格はできなかったものの水戸に加入してプロ選手となった鶴野太貴くんの例がありました。
だから私は、たとえコンサじゃなくても、どこかのチームでミツがプロ選手になれたらいいなと思ったし、阪南大学はたくさんのプロ選手を輩出している強豪大学だからそこでがんばってプロ選手になれるかもしれない、なれたらいいなと思い、ミツのお母さんにもそう言いました。

関東の大学とは違って関西大学リーグの試合は見に行くこともなかなかかなわず、その後のミツのようすは試合の記録でしか知ることができませんでしたけれども。1年生のころのミツはAチームの試合には出れていませんでしたね。
でもその年の冬、ひょっこりミツと会うことができました。
Jユースの決勝トーナメントの試合が神戸であったとき、ミツが後輩たちの試合を見にスタジアムへ来てくれたのです。
2010/12/11 Jユースカップ決勝トーナメント2回戦 札幌U-18vs神戸U-18 @ホームズスタジアム神戸
ハーフタイムにりょうぼさんと一緒にコンササポのエリアへ顔を出してくれました。
実は私、ユース時代は坊主頭の印象が強かったせいか、ミツがイケメンだとは知りませんでした。ハーフタイムに現れたイケメン青年に「こんにちは」と言われても、目の前にいるイケメン青年がミツだとはすぐに頭の中で結びつかず、一瞬「???」状態でしたの(笑)。
ちょっと間を置いて「えええーーーー??ミツ~~~?!!」と叫んでしまい、「いやあ、大人っぽくなったねえ」「かっこよくなったねえ」「いやほんと、かっこよくなったねえ」と何度も繰り返して言ってしまいました。

後輩の試合を見に来てくれました
(大学生の変貌ぶりにはたびたび驚かせられます)



大学2年生になったミツは、だんだんと試合に出るようになりましたけど、どうやらFWではなくSBとして起用されているようでした。
鹿島へ行った大伍や新潟での征也もそうでしたし、当時水戸の鶴ちゃんもSBで出場したりして、どうしてコンサユース出身者が(本職SBではなかった選手が)こんなにもSBとして起用されるんだ?とおもしろく思ったものでした。阪南大学ではミツと同学年の新潟ユース出身のFW泉澤くんが注目を集めており、出場機会も多く、マスコミで取り上げられることも多く、大学選抜にも選ばれていたりして、ちょっとやきもきしましたね~。でも3年生になると、泉澤くんは相変わらず活躍していましたけれどミツも次第に台頭してきて、そして冒頭のとおり、大会得点王をとったりの活躍ぶりでした。
嬉しい半面、コンサに戻ってきて欲しいと思っても無理な選手になっちゃうかもなあと心配になるほどでした。でもミツが活躍して注目を集めて、その結果強豪チームに加入できるならそれはそれでめでたいなとも心から思いましたけれどもね。
大学に行ってからのミツのプレーは、去年の総理大臣杯の決勝戦で録画放送していたときのものをテレビで見たのしかないので、正直いまはどんな選手なのかよくわかりません。でもコメントなどによると、ゴール前の駆け引きに磨きをかけているようですね。
コンサでは今季の特別指定選手に申請するとのことですから、あるいはコンサの試合で今年中に見れるかな。楽しみです。

大学で予想以上の実績を作り、プロ選手として他のJチームからも引き合いがあったのに、愛ゆえにコンサに戻ってきてくれるミツ。サポとしてこれ以上嬉しいことがありましょうか。(や、あるな。まだまだあるな。)
ミツのこれからのプレー、とっても楽しみにしています。
おかえりなさい。ありがとう。これからよろしくお願いします。


【2013/06/11 08:27追記】
このエントリーを書いたあとに読んだエントリーなど、後日談というか追加エントリを書きました。→こちらです。


posted by あきっく |23:55 | コンサ周辺のいろいろ | コメント(4) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:カムバックサーモン第2号 ~工藤光輝くん~

初コメさせていただきます。

工藤君のこと詳しく教えていただきありがとうございました。

ユース出身の子は本当にコンサ愛が強い選手が多いですね。サポーターと同じくらいチームを愛してくれている選手は応援のし甲斐があります。

特別強化指定選手で出てくるのって河端君以来ですかね。北海道の大学と違って遠いから練習も含めてどうするんだろう?学校行かなくて単位は大丈夫?なんて心配になりますが、その辺は私立の大学は考慮してくれるかな(笑)

楽しみです。

posted by ric| 2013-06-10 08:48

Re:カムバックサーモン第2号 ~工藤光輝くん~

おはようございます。
率直に言うと、長っ!と思いましたが、
それ以上に、こういう楽しみがあることがユースの試合を見る醍醐味の一つなんだと強く感じました。
それにしてもすごい情報量ですね。
写真付きなところが、足繁く通われてることが伺えます。
頭が下がります。

posted by sca| 2013-06-10 09:09

Re:カムバックサーモン第2号 ~工藤光輝くん~

すごいですね。工藤(ユース)に対する愛が半端ない!
もっと長くかけそうなくらい、工藤やユースの事びっしりと書かれてますね。
私みたいなあんまり現地に行って応援してないサポにとって書ける事が羨ましい。

こういう愛されている選手が増えることも良い。強豪クラブで良い選手取りまくるとは別の良さがある。(強い事を否定しているわけではなく)
選手の事をこうやってブログで知れる事、ユースからちょっと?知れる事で愛着が湧きます。

工藤が活躍してくれたらなお良いです。本当に楽しみです。

posted by あきひと| 2013-06-10 20:52

Re:カムバックサーモン第2号 ~工藤光輝くん~

>ricさん
ようこそ、コメントありがとうございます。
選手がコンサを愛してくれるのはほんと嬉しいですよね。
ミツの出身クラブ、ASC北海道のスタッフ日記6/8付記事(こちら→ http://ascstaffdiary.blogspot.jp/2013/06/blog-post.html )によると、ミツは小学校4年生のときに赤池コーチに「将来はコンサドーレの選手になる」と言っていたみたいです。(*^_^*)
特別強化指定選手って、そんな久しぶりになりますかー。
そういえばここ数年はずっとユースの2種登録ばかりでしたものねえ。
大学の単位のことは気になるけど(笑)、夏休み中にしっかり長期の練習参加をしておけば、あとは費用の関係でベンチ入り人数を減らしているアウェイの試合、特に関西以西の試合で、現地集合でベンチ入り・・という裏技もあるかしら。楽しみですねー。

>scalさん
そうなんです。長いんです(汗)。読んでくださってありがとうございます。
若い選手たちはみるみるうちに(いろんな方向へ?)どんどん変貌していきますから、それを間近に見ていけるのはとても楽しいです。おっしゃるとおりユース観戦の醍醐味です。
毎試合それぞれ違うので、その変化を見ていたくてどの試合も見逃せなくなってしまうのがつらい(楽しい)ところですが・・・(笑)

>あきひとさん
うふふ、思い入れようがダダ漏れでした?(笑)
パッと思い出すエピソードをいくつか書きましたが、また思い出すこともあるかもしれません。
関心をもっていただいてありがとうございました。
コメントをいただいて、これからもユースの選手たちの魅力や試合の楽しさをご紹介していけたらいいなと思いました。このごろ観戦記をずいぶんサボっているので。

posted by あきっく| 2013-06-11 06:21

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