2006年02月26日

1999年天皇杯と2000シーズンの始まり

開幕が来週に迫ってきました。思い出話にひとまずけりをつけないと(汗)。
ということでとりあえず思い出話完結編。
ものすごく長くなってしまったんで恐縮です。どうぞお時間のある方だけおつきあいくださいませ。
前回までの思い出話はこちらから。


1999年のシーズン末は、福岡に住む私にとってラッキーなことがありました。
リーグ戦が終了してしまっても、天皇杯3回戦は博多の森でJ1のアビスパ福岡と対戦することになっていたのです。
コンサが福岡に来てくれる!
前年のJ1参入戦のことを思えばチームやサポにとっては複雑な思いがあったかもしれません。でも初心者サポの私にとっては福岡でコンサの試合が見れるのは単純に嬉しいことでした。
1回戦は11月28日(日)長居第2で阪南大学との試合。
ちょっと苦戦したようでしたが、無事勝ってくれました。
2回戦は12月5日(日)。ちょうどあの試合から1年後の同じ日に、再び室蘭での試合でした。相手はマインドハウスTC。三重県の教員チームが母体となったチームだそうです。
この試合はBS放送での中継があり、私は福岡市内の自宅でテレビ観戦でした。室蘭入江は小雪がちらついて画面越しにも寒そうで、なかなか点がとれずにハラハラしましたが、なんとか2回戦も突破して、コンサは無事博多の森に来てくれることになりました。
ここでもし敗退でもしたら私にとっては痛恨の一撃でしたからね、テレビで見ててほんとにホッとしたのを覚えています。


そしてこの博多の森での天皇杯は、コータファンサイト掲示板に集う人々にとっては、決して口には出さないけれど暗黙の共通理解となっていることがありました。
それは、この試合に負ければそれがコータの最後の赤黒ユニ姿になるだろうということ。
当時移籍先はもちろん、移籍するか否かということさえ公式には何も発表されていませんでしたけれどね。でもね。
それでというわけでもないのでしょうが、博多の森での試合の後、福岡市内での宴会が設定されました。当時「コータカメラマン」としてそのファンサイトにたくさんのコータ写真を提供してくれていた佐賀在住のFさんが企画してくれたものです。私はその掲示板でふだんから印象に残るような書き込みをしているわけじゃないので、誰も私のことを知らないだろうしと少々臆する気持ちがあったのですが、たまたま福岡在住と書いた私の書き込みを目にした主催者Fさんが直に案内のメールをくださったのに背中を押されて、勇気を持って参加してみることにしました。いつも(一方的に)親しく書き込みを見ている方々と会える最初で最後の機会かもしれないですしね。(夫にも行こうと誘ってみたのですが、試合は見に行くけど宴会まではいいや。と断られてしまいました。)

で、試合ですか?
ええ、負けました。0-1で。
コンサはとことん情けない姿でしたけど、アビスパも敵ながら「へったくそ・・」と思うようなダメダメ加減で、関係者以外は誰も見たくないだろうなあと思うほどしょぼい試合でした。
というわけで、はいこれでコータの赤黒ユニ姿の見納め!!
この試合、確かコータはキャプテンマークを腕に巻いていたように思うのですが、どうでしょう?おぼろげな記憶・・・。記念だったのでしょうかね。

試合後、博多駅近くの居酒屋に場所を移して宴会です。20~30人くらいいたでしょうか。今日の試合のこと、コータのこと、これまでのコンサのこと・・。話は盛り上がり、途中でひとりずつ自己紹介がありました。そこで私が驚いたのは、「闘魂継承者」を名乗っていつも男前な書き込みをし、急きょ代表に呼ばれたコータを見るために単身パラグアイまで行ってしまうかっこいい「いそやん」が若い女性(当時)だったこと!・・だけじゃなく、「アウェイは全試合行った」とか「ホーム全試合のほかアウェイもほとんど行った」などを普通に言ってしまう人が複数いたこと。だって、アウェイ全試合って・・と思わず想像してクラクラしましたよ。(その後の自分の姿も知らずに。ってか私は今までに「全試合」を行ったシーズンはありませんからね。)
そして、コータがきっかけでコンサを見るようになり、コンサにはまり、たとえコータがコンサを出ていくことになってもこれからも変わらずコンサを応援しますと決意表明をしていた人がかなりいたことは、同志を得たようで心強かったです。

宴会が終わり、店の外に出ました。知り合い同士で2次会へ繰り出す人たちもけっこういるようでした。私は2次会へは行かずに帰るつもりでしたが、わざわざ会に誘ってくださったFさんに一言お礼を言おうと思って外で待っていると、「福岡に住んでいるんですか?」と話しかけてきた方がいました。「福岡のどのあたりですか?」とか西新(にしじん)のラーメン屋さんの話とか、福岡ローカルな話にけっこう詳しいその人は、かの有名な高谷さんだったのでした。私はそのときはまだ高谷さんがどんな方か知らなかったのですが。メールアドレスを教えてもらい、このとき高谷さんと知り合いになったことは、その後コータの移籍と時期を同じくしてコータファンサイトが閉鎖になり、コンサ仲間との交流場所を失った私にとって、振り返ってみるととても大きな出来事でした。


年末に、コータの移籍の正式発表がありました。半ば覚悟していたはずでしたが、発表を聞いてどうしようもない悲しさがこみ上げてきました。夫が帰宅する前の誰もいない部屋で声をあげて泣いてしまい、涙を流しながら「応援するチームの選手がひとり移籍したくらいで・・。いい大人が、そんな・・・。」と自分の反応に自分でうろたえていました。
コータの移籍以上にショックだったのがコータファンサイトが閉鎖して「居場所」を失ってしまったことでしたが、仙台戦で会った人たちや高谷さんなどとメールのやりとりをして、次第に次のシーズンへ向けて気持ちの準備をすることができました。仙台で会ったメンバーとは、勢いでそのままOSCを作ったりして楽しく過ごしました。2001年のイヤーブックにちゃっかり写真まで載っちゃったりしてるのは、今では懐かしい思い出です。


そしていよいよ2000年のシーズンが開幕。
開幕戦は3月12日(日)鳥栖スタジアムでの鳥栖戦。4月から転勤で東京に引っ越すことが決まっていた私にとっては、開幕を地元で見てから転居できるという好都合なスタートとなりました。
開幕戦の前夜は、全国各地から集まったサポで博多で決起集会(という宴会)が開かれました。それまでにコンサ仲間の知人が増えていた私は自信満々(笑)、夫を引っ張り込んで勇んで参加しました。100名を越す(もっとか?)大宴会でした。ここで高校の同級生にばったり会ってびっくりしたっけ。「開幕戦は全国どこであっても行くことにしてるんだ」と言ってた彼とは、その後何度もスタジアムで会いました。


鳥栖での開幕戦の衝撃は、鮮明に覚えています。
お天気もよい日でした。前回の鳥栖戦のころとは違って、このころにはすっかり「試合中立ってコールする人」に混じりたくなっていた私は、結成したばかりのOSCのメンバーや天皇杯のときに知り合った人たちと一緒にゴール裏中心部に陣取りました。
2000年は前年と大幅に選手が入れ替わり、チームは遠くオーストラリアでキャンプをやっていたとあって、今年の選手を自分の目で見たことがある人はその場にほとんどいない。試合前にゴール裏で改めて選手の名前と背番号をみんなで再確認する始末(笑)。
選手のコールも決まっていなくて、エメのコールも何種類か候補があがってやってみたけれど、「これ」と決まったのはなかった。コールリーダーのいしもりさんが「まあ、始まったらなんとかなるっしょ」って感じでとりあえず試合に突入。そういえばこのとき健作のコールはまだ「けんさく!!」ではなくて「おおもり!」だったはずですね。確かこの後のアウェイ甲府戦かあるいはアウェイ水戸戦のときに「森と大森はややこしいから、どっちかを下の名前に変えよう」ということになり、以来アウェイでは健作の選手コールが「けんさく」になったはずので。(ホームでは翌年くらいからだったかな)

いざ試合が始まってみると、それはもう衝撃の世界。これがコンサ??! エメの速さもびっくりだけど、選手がピッチを生き生きと動き回ってすっごく強そう。
ゴール裏に集まったサポたちも思わず笑顔がほころび、「おいおい!どうなってんだ?まるで違うチームみたいだな!」「だって(選手が)違うチームだもの!」(爆笑)と軽口が飛び交います。
前半の早いうちにバンちゃんが先制ゴールを決め、「いいチーム」に仕上がっていることを確信させます。エメの惜しいシュートでいざエメのコールというとき、いしもりさんがクルッと後ろを振り向いて、ちょっといたずらっぽい笑顔で「じゃあ、『ビバ!エメルソン!』でいこうか」とみんなに声をかけ、あのコール「ビバ!エメルソン!」が始まりました。勝利の予感とこの先の期待に浮き立つゴール裏は、ノリのよいビバ!エメルソン!のコールにあっという間に呼応して、その後シーズン中何度となく私たちを酔わせてくれたコールがそのとき始まったのでした。

試合はエメのハットトリックを含む4-0で快勝し、終盤相手選手と交錯して背中を打ち担架で運ばれたバンちゃんは心配でしたけれど、サポは興奮状態でした。単にその日の勝利だけでなく、この先もよいシーズンになりそうな期待が何よりも嬉しいことでした。
興奮さめやらぬままさっそく仲間うち(←つい先日知り合ったばかりというのにもうすっかり仲間状態w)で祝勝会でしょ。夫は「今日はもう宴会はいいや」というので、博多駅に降りたところで夫と別れ、私は祝勝会に繰り出します。OSCを結成したメンバーのほか、天皇杯後の宴会で知り合い、ゆうべの決起集会で親しくなった関東在住の人たちやあの高谷さんなど。「4月から関東サポの仲間入りをしますのでどうぞよろしく~」と挨拶をしたり。

祝勝会では今日の試合について盛り上がり、おのずと次節のアウェイ甲府戦のことにも話が及びます。関東から来ている人が多かったので、当然みんな小瀬には行く前提です。私はとても羨ましくなりました。いいなあ、こんなふうにスタートしたチームがこの後どうなるのか、次もぜひこの目で見たい。そして私の胸の中でささやく声が。
「みんなこうやって関東から鳥栖に駆けつけているんだ。私はたまたま地元だったけど。でも開幕が甲府だったら私も甲府に飛んでいたはず。なら私も開幕戦の分と思って甲府に行って何が悪い?(爆)」
甲府戦は月曜日だから行けないと思っていたけど実は祝日です。羽田まで行けば、高谷さんを羽田から小瀬まで乗せて行ってくれることになっている知人の車に私も一緒に乗っていってもいいよと高谷さんが誘ってくれます。
ええい!行っちゃおうか!日帰りで。
(この祝勝会の席に夫がいなかったのが幸いしたのかどうか・・。)


家に帰って「来週、甲府に行くことにした」と告げたときの夫の反応は覚えていません。呆れてはいたかもしれませんが、別に不快感は示されませんでした。そしてそれが今に至るその後の私たち夫婦の生活パターンの始まりでした(笑)。
翌週月曜日、私はひとり羽田に降り立ち、高谷さんと合流して初対面の方の車に乗せていただきました。コンサ仲間というのは思えばずうずうしいですよね。この方にはその後あちこちのアウェイスタジアムに乗せていっていただき大変お世話になりました。しばらくお会いしていませんがお元気かしら。お子さん達も大きくなったでしょうね。

小瀬でも3-0の快勝。今年の強さは本物らしいと思えました。
勝つっていい気分。エメのゴールのたびに「ビバ!エメルソン!」ってコールするのもいい気分。

ところでその帰途ですが。3連休最終日の夕方の中央道は大渋滞で思ったように車が進みません。高谷さんは千歳行きの、私は福岡行きのそれぞれ最終便に乗る予定にしていたのですが、なんだか危うくなってきました。そこで途中で(今思えば大月あたりでしょうか?)JRに乗り換え急いで羽田に向かったのですが・・・。福岡行きの最終便のチェックインにはぎりぎり間に合いませんでした。orz
福岡空港は市街の住宅地にあるせいか発着できる時刻の制限があり、福岡行きの最終便は早いんですよね。翌日仕事のある私は一瞬青ざめましたが、福岡空港が市街地に近いということはいいこともある。翌日朝一便で帰ればなんとか仕事には間に合います。急きょ参戦を決めた甲府行きだったため普通運賃の航空券を買っていたのがよかったのか、ぎりぎりで最終便を逃したという状況に同情してくれたのか、JALのカウンターでそのまま翌日朝一便の予約に変更をしてくれ、無事翌日の早朝には帰れることになりました。
高谷さんがときどき使うという安いホテルを教えてもらい、早朝の空港行きの電車の時間を確認してから、夫に状況を報告し、ホテルに向かいます。
宴会のとき全国のスタジアムへ飛び回っている強者アウェイサポが言った「コンササポは飛行機に乗り遅れて一人前」という言葉を思い出し、こんなに早く「一人前」になってしまった自分に苦笑したのでした。
翌朝、午前5時台という私にとってはまさに非日常の時刻なのに駅にも電車にも大勢の人がごく普通にいるのに驚きながら羽田に向かい、無事福岡に戻って仕事にも間に合うことができました。やれやれ。


これで私の第1期「大冒険」はひとまず終わりです。
第3節はコンサがお休みで次の第4節新潟戦@室蘭(3/31)は転勤前の平日だから到底無理、第5節仙台戦@仙台(4/2)は引越当日で無理。第6節浦和戦は延期になり、第7節大分戦@大分(4/15)は九州から東京へ引っ越したばかりなのでさすがに自粛して、私の参戦は第9節水戸戦@ひたちなか(4/30)からになりました。そして以後は・・。まあご承知のとおりですわ(笑)。

今年は2000年と同じく開幕が鳥栖スタジアムで、チーム数が奇数でお休み節があるというのも同じ。なんかゲンがいい感じがしますよね。
チームをとりまく状況も私がコンサに求めるものも当時とはかなり変わっていますけれど、できればあのときのような幸先のよいスタートを切って楽しいシーズンになって欲しいなと思います。幸先のよいスタートが切れないと楽しいシーズンではなくなるかと言われればそうではないですけどね。(←保険かけてる?)

最後まで読んでくださった方、長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。お疲れさまでした。


posted by あきっく |14:24 | コンサ思い出話 | コメント(2) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
Re:1999年天皇杯と2000シーズンの始まり

思えばあキックさんとのおつき合いも長くなりましたねぇ。
天皇杯後の打ち上げ宴会では九州にたくさんのコンササポがいることに驚き、’00年の開幕戦前夜に福岡で百名近くのコンササポが大結集。なぜか鳥栖サポ数名を巻き込んでの宴会でしたが、すでに彼らはコンササポの威力に圧倒されていました。そして鳥栖でのエメルソンのスピードには鳥栖サポだけでなく、当の私たちも驚きの声を上げたのをいまでも鮮明仁覚えてます。
そして印象的だった甲府戦からの帰り。二人とも飛行機に乗り遅れたとき、全然めげずに次の対策をとっていたあきっくさんの姿はかなり旅慣れた人に見えました。中央高速の渋滞にはまり、上野原からJRに乗り換えるまでは、岡田監督が自ら運転するレンタカーと併走しながら盛り上がりましたね。
私も一時は一人横浜暮らしでアウェーサポとしてみなさんの仲間入りをさせていただき、楽しい2年を過ごさせていただきました。
これからもまたともにコンサドーレを応援していきましょう。末永くよろしくお願いいたします。

posted by 高谷| 2006-02-28 00:02

Re:1999年天皇杯と2000シーズンの始まり

高谷さん、コメントありがとうございます。
お名前出してもよいと言ってくださったので、思いっきり出しちゃいましたよ。ほんとは高谷さんのコールも書こうかと思ったんですけど(笑)。
あのときJRに乗り換えたのは、上野原というところだったんですか。私は方向オンチだし土地勘ないし、飛行機間に合わないかもなんて全然気にせずお任せでのんきにしていたもので、どこで乗り換えたのかも知りませんでした。すんません。
そういや岡田さんの車とチェイスしたんでしたねえw
コメント拝見して思い出しましたが、そういえば高谷さんも飛行機に乗り遅れたんでしたね。
空港についてそれぞれのカウンターに向かってダッシュして・・。
でも確か高谷さんはその日の便に乗れた・・はず?
ともあれそのとき分かったことは「福岡行きは最終便が早い」ということでした。

「動じない」というのは時々言われます。でも人前で話すのはあがるし、かなり動揺したり緊張するタイプなんです、私。動じていないように見えるのはきっと体型(ry

posted by あきっく| 2006-02-28 00:32

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